夢を売らないブランドは売れない
それは結構衝撃的なニュースだったので、思い出す人も多いと思います。
周回を数え間違えられてトラックに誘導された競歩の選手が、ゴールした後、倒れてしまって、結局失格になりました。 数年前の出来事ですね。 たぶん、北京オリンピックの前で、代表選手の選考を兼ねていたレースだったと記憶しています。 大阪陸上、かな?
きっと多くの人が、なんともやりきれない気持ちになったことだと思います。 もちろん、私も。
そして、「でも、一度ゴールしたと思ったら、もう走れないよなぁ。」と思ったのではないでしょうか。
久しぶりの記事の冒頭、なんでマーケティングじゃなくて競歩の話なの? もちろん、たとえ話としての導入なんですが、先日来考えていたことをうまく説明するのに、「走る」ことにたとえるとうまくいくかな、と思って。 しかも、もしかするとマーケティング以前の話かも。 ともかく、書き進めてみます。
長距離走で、ハーフマラソンだと言われて走ってて、例えば20km地点で、「ごめん、今日はフルマラソンだから」って言われたら、走れなくなるんじゃないでしょうか? 最初に「100kmマラソンです」ってわかってたら100km走れる人でも。
そんな大げさな話をしなくても、100m走るときの走り方と、5km走るときとは、素人でも違う走り方をするはずです。
たとえ陸上のエキスパートであっても、どうしようもないのは、ゴールがどこにあるのかわからないのに、「とにかく走れ」と言われることでしょう。
誰にでもわかる常識ですよね。
零細コンサルとして仕事をするようになって2年強、いろいろな会社や団体の方とお仕事をさせていただく機会ができて、先日の記事でもK。が1年を振り返っていましたが、ホントにいろんな経験をさせていただいて、楽しいですねぇ。 みなさんに知らないことをたくさん教えてもらえるし、私たちの考え方や発見を先方にお伝えして参考にしてもらって、で、結果、何かが出来上がると、とてもうれしいです。
しかし、いくつか「そうなの???」ということに出会うこともあり、それが新鮮な発見ならいいんですが、「おいおい!」と思うこともあり。
その「おいおい!」のひとつ。 世の中には案外、「ゴール(あるいはビジョン)」と「戦略」が決まっていない組織や仕事がたくさんあるのだ、ということです。
しかも、ときどき、そもそもそういう概念が存在していないことがある。
多くの場合、「予算」(短期的に目標とする数字のことのようです、それをなぜ日本語で予算というのか、私にはかなりの謎)と「プラン」は存在するみたいなんですが。
不思議です。 冒頭の「走れと言われても、どのくらいの距離をどのくらいの時間で走るのかを決めないと走れない」は常識なのに、ビジネスの世界で「ともかく走れ」、あるいは、「ともかくそっちに向かって進んでいればなんとかなるだろう」が通じるなんて。
ゴールがわかっていないのに、走り続けることはできないし、走り方も決められないし、そもそも走れるのかもわからない。 だから、「走れ」とだけ言われたら、誰も走らないか、あるいは、すぐにみんな倒れてしまうことは明白。 「とりあえず走ってみる」じゃ、それが正しいのか、それによって出た結果が妥当なのかもわからない。 はずなのに。
とても頭のいい人たちが集まって、一生懸命働いて、結果を出し続けていかなければならないビジネスの世界で、なぜそんなバカなことがありえるのか。
「ともかく全力で走り続ければなんとかなる」という精神、とか、「がんばらせることでなんとかする」という組織運営・人事管理上のカルチャー、とか、いろいろとあるんでしょうが、そのあたりは私には関係ない分野なので、放っておくとして、マーケティングに関わる範囲で考えてみます。
まずは、ゴールの設定、あるいは、達成可能な夢、について。
コンサルをしていると、当たり前ですが、たいていのお客様は「困っている」からいらっしゃいます。 「これはどっちがいいですか?」とか「この場合、次はどうしたらいいですか?」レベルから、「すいません、途方に暮れています」レベルまでいろいろと。
その時に、(そのままの質問をするかどうかは別として)必ず聞くのが「あなたはこのブランド・商品・サービス、カテゴリのユーザーを最終的に・長期的にどうしたいんですか?」ということです。 そのとき、驚くほど多くの方が、(言葉こそ違え)「なんでもいいから伸ばしたい」とお答えになります。 いつのどの状態に対して、どの程度伸ばしたいのか、その結果どうなるのか、を聞くと、「昨対で5%伸ばせといわれているんですが、今、-8%です」と。
私が聞きたい答えは、例えば「カテゴリのNo.1になりたい」とか、「20XX年までに、X万人の方にXXな経験をしてほしい」とか、「あとX%売り上げを伸ばして、出た利益でXXセグメントに参入を果たしたい」とか、または「日本の大多数の女性にXXであることは素敵なことだと認識させたい」とか、そういうことなんですが、これが出てこないんです。
それに対して、「今、私たちはここにいます、ここでもがいてます」というのを教えていただけると、ものすごく仕事に取り組みやすいし、やる気も出るってもんなんですが。
「予算」っていうんですか、短期的なビジネス上での数値目標が大事なものであることは、私もビジネスの世界(ぬるい世界だったかも、ですが)に長くいたので、よくわかります。 会社や株主や銀行と約束したことを守ることはとても大切なことです。 もちろん、なんとかしないといけない。 万一できないなら、できない理由・原因と代わりにできることをちゃんと話さないといけない。 (説明責任とかって言うんですよね、確か。 いつの間にかすっかり「日本語」になりましたね。)
しかし、だからといって、夢を、ゴールを語れない、では困ると思うんです。
なぜなら、それは「ただひたすら走る」ことにつながってしまうから。
人は、金のために金を儲けようと必死になる人のことを「金の亡者」と呼んで嫌うのに、数字のために数字を追うビジネスパーソンになってたりする、わけですよ。
夢のないマーケッターには売れない、夢を売らないブランドは売れない、と私は信じています。 信じているだけではなく、そうだったという経験を、プラスもマイナスもしてきたうえで。
ここで言う「夢」とは、夢物語というときの夢ではなく、どちらかというとビジョンという言葉に近いのですが、達成可能なゴールの向こうに見える景色、そのときブランドはユーザーは世の中はどうなってるはずか、みたいなことですね。
それをビジネスリーダーが示してくれたとき、走る気になる・走りたくなるし、そこまでいくのなら、どのように走ればいいか、しっかり考えることができる。
しかし、どうも、とても魅力的あるいは意義があって、十分に達成可能で、存分に手ごたえのありそうなゴールの設定は、マーケティングにとって必須なのだというのは、常識ではないようですね。
きっと右肩上がりの成長の中にいて、常に隣にいる競合よりも優れていて安いものを作って世の中に送りこめば良かった「やすものづくり」時代の遺物なのかも知れませんが、「予算」と呼ばれる、根拠のない辻褄合わせだけの数値目標に向かって「がんばって」走るのは、そろそろやめないと、みなさん、疲れ切ってしまうんじゃないかと思います。 きっと今や中国人のほうが走るだけなら速いし、しかも向こうはリレーできる選手の数が桁違いなので。
次は、戦略の創造について考えてみますね。
お。
いい季節になりました。 アジアの東の端っこ、秋津島は収穫の秋です。 震災、台風、と、農業に携わる方にはとりわけ厳しいこと続きの年でもありましたが。 被害を受けた地域にも、早く、豊かに実った田んぼの上をトンボがすいすい飛ぶ秋が来ますように。
さて、今日は思いっきりトリビアなネタです。
先日、あるクライアントさんと電話会議の最中、なんとなく
「で、ヤンマーって、なんでヤンマーって言う名前になったんですかねぇ?」
ということになり、いやいや、便利な世の中になったもんで、電話しながら、ちゃちゃっと検索してみたら、すぐさま出てきました。
(こちら、yurai.jpからの受け売りです。)
創業者の山岡孫吉さんとおっしゃる方、世界で初めて小型のディーゼルエンジンの実用化に成功した方だとか。
その方が農業機械のエンジン製造メーカー、山岡発動機工作所を、明治の後期に創業。 そもそも農業と機械化の出会ったところからスタートしたんですね。
んで、大正時代にできた新型の機械に、豊穣のシンボルである「トンボ」の印を付けたわけですが、なんと、すでに「トンボ印」は静岡の会社が商標として登録していたらしく、訴えられてしまいます。
こりゃいかん、と、すんなり引きさがるかと思いきや、きっと悔しかったんでしょうねぇ、「相手がただのトンボなんやったら、こっちはその上行ったろやないか! トンボの親分、オニヤンマで、ヤンマーや! どや?」と言ったかどうかはともかく、「ヤンマー」となったということだそうです。 山岡(ヤマオカ)という音の連想ということもあったのでしょう。
農業の機械化という時代の要請と、小型の発動機の技術が出会って生まれた会社だからこその、トンボ=ヤンマのブランド名だったわけです。 ブランドには名前があり、出自があり、物語があり、それがDNAとなって、さらに強いブランドへと成長していくんですねぇ。
トリビア、トリビア。
さて、ヤンマーと言えば、みなさんご存じの「ヤン坊マー坊天気予報」。 なんと、TVの本格的な普及が始まったばかりの1959年から、今まで、基本的な構成を変えずに続いている超長寿番組なんですね。 歌えるひと、多いですよね?
なんで、ヤンとマーに分けたのかは(コンバインとの連想?? とか想像しながらも)わからないんですが、それはともかく、20世紀の中盤から半世紀以上、天気予報を提供し続けているわけです。
日常生活を送る上でも大切ですが、農業にとってはさらに重要な情報である天気予報を、農業機械をその生まれに持ち、その後も農業機械を中心に歩んできたヤンマーという会社が、お客様のニーズに応えるコンテンツとして提供し続ける。
見事なブランドマーケティングであり、見事なメディア戦略だったわけですよ。
トリビア、トリビア。
でも、すごい。
ブランドマーケティングの教科書に載せていいケーススタディーです。
お。
「私は商品企画部で、あるカテゴリの商品群の企画や消費者マーケティングをやっています。 でも、それだけではなく、サプライチェーンの端から端まで、購買や製品開発から店頭まで、目を配って、横断的にマネージしてます。 もう、それを何年もやってきています。 でも、うちにはブランドが育たないんですけど、なぜなんですか?」
というご質問を、先日の講座の最後にいただきました。
いい質問ですね。
結局、ブランド、ブランドマーケティング、ブランドマネージメントって、何なんだろう、ということに関する、とても大切なポイントに関する質問です。 そして、簡単な答えはない。
すっかりシリーズ記事になってしまいました。 2つくらいしか書くつもりなかったのに。 とりあえず、この記事で一旦おしまいにしますね、このテーマは。
1回目は、ブランドを作り、育てることが、目的なのか、売り上げをあげるための手段なのかのとらえ方の違いについてつぶやきました。 2回目は、ブランドを作り、育てることに向いている資質というか、思考行動パターンみたいなことを愚痴ってみました。 3つめの記事では、ブランドというものの根幹を成す概念を日常的な感覚でとらえるために、ブランドとは老舗である、ブランドには人格がある、ということをだべりました。
今回は、ブランドを作り、育てることで会社を経営していく・ビジネスを伸ばしていくための組織や経営手法について、ちょっとだけ書いてみます。 あんまり得意な分野ではないんですが、冒頭にご紹介したような悩み・質問はよくいただくので、私なりの考え方をちょっとだけ。
ブランドマーケティングの話をするときに、よく、組織として「ブランドマネージメント制」を採用しているかが話題になります。 宣伝会議さんでやらせていただいている講座でも、全体の4分の1くらいの時間を費やして、組織や経営手法の話として、この話題を議論します。 (講師は私ではありません、このパートは。) また、受講される方も、よく「うちの会社はブランドマネージメント制に移行したばかりで」とか「これからそうしようと思っていて」とかいうお話をされます。
ブランドをひとつの経営の最小単位として、縦型部署別組織ではなく・とは別に、サプライチェーンを横断的に管理するための代表的な手法で、多くの企業が採用している組織形態ですし、日本企業でも多くが導入しているか、または、導入を考えてらっしゃるようです。
組織としてブランドを単位としてプランし行動するしくみなので、ブランドを作り、育てるためには確かに有効な手段です。 (具体的にどういうものか、何がどういいのか、実は似て非なる組織が多い、とかの解説は、専門の方におまかせします。)
しかし、これだけでは、冒頭の質問に答えられないんですね。
お話を聞く限り、そういう名前で呼んでいるかどうかは別にして、彼はブランドマネージャ的に働いてらっしゃるわけですから。
ブランドを作り、育てるためには、しくみも大切なんですが、もうひとつなくてはならないものがあると思います。 実は、私はこっちのほうが大事だと思っているんですが、それは、そこに働く人や、その人たちを取り巻く人々、特に経営陣の、考え方・発想法・行動様式と行動規範の中に、「ブランドを作り、育てることが会社の業績を上げるんだ」という認識が、ほぼ無自覚・無意識のレベルにまで浸透しているか、ということ。
もっと簡単に言えば、ブランドを作り、育てることがその組織に「文化」として根付いているか、ということです。
こいつを抜きに、しくみだけブランド制にしてみても、日々の意思決定が違った発想や観点で行われてしまうので、ブランドは育ちません。 逆に、私がお仕事させていただている会社でも、組織としてブランドマネージャやブランドグループはいなくても、ブランドごとにものを考える・進める文化が会社全体に存在しているので、すんなりことが運ぶところもあるわけです。
また、私はよく「社長さんはマーケティング出身(マーケティング心のある人)ですか?」というのを聞きますが、そのほうが、組織がどうなっているかより、ずっと重要だったりするんですよね。 (財務とか人事とか聞くと、私の仕事としては、「ああ、この会社は気をつけよう」とか思ったりします、はい。)
あるいは、前回の議論につながりますが、いわゆる「老舗」と呼ばれる会社などは、むしろこの文化がものすごく浸透している。 工場の職人さんから営業のおねえさんまで、全員、老舗の価値を守り、高めることでビジネスを伸ばそうと(しか)考えていないわけですから。 むしろ、そうした老舗のほうが、中途半端に「うちはブランド制だ」といってる大企業よりずっとずっとちゃんとブランドを育ててたりするのは事実ですよね。 しくみとしてのブランドマネージメントやブランドマーケティングを、すごくすんなり導入できるのは、実は彼らです、間違いなく。
「文化」のほうが、「しくみ」より作るのが大変ですから。
さて、冒頭の質問に対する、私たち講師陣の最終的な答えは、実は随分と「冷たい」答えでした。
「社長に、『あんた、ブランドで考える気があるの?』って聞いてください。 あとは社長が決めることです。 あなたが悩んでみてもしかたありませんよ。」(実際にはもう少しだけやさしく言いましたが。)
講義でそんなこと言っちゃっていいのかしら、とも思いますが、しくみ(組織や手法)だけでできるもんでもないことを、私たちはすっかり経験済み(痛い目にあったり、とか)なので、正直に答えてしまうわけですね。
お。
先週は、宣伝会議さんでやらせていただいている「ブランドマネージャー育成講座」でした。 2日間の講座で、8月と2月、年に2回やらせていただいているのですが、今回は受講者が多く、一度では入りきらなかったので、8月に2回開催しました。
受講者のみなさん、とても熱心で、がんがん質問などもしていただき、いつものことながら、私もたくさん学ばせていただきました。 みなさん、お疲れさまでした。
さて、そこでも「ブランドとは何か」、「ブランドを作り、育てていくということはどういうことなのか」について、たっぷりと語らせていただき、おそらく多くの方に、「なるほど、そういうことか、早く仕事に戻って、試してみよう!」と思っていただけたと思うのですが、講義の最後に「ほ~~~~、なるほど。 う~~~む。」という質問もいただきました。
先週は、講義が終了してから、受講生の方に、
「会社に戻って、で、結局ブランドとは何なの、って聞かれたとき、ひとことで説明するとしたら、なんて言えばいいんですか?」
というご質問をいただきました。
が~~~ん。 いやはや、これじゃぁ、講師失格ですね? だって、それを学びに2日間も来られてるんですよね、みなさん。
「で、ブランドって、ブランドマーケティングって、何なんだろう?」
結局、この質問に、私はまだちゃんと答えられていないのですね。
難しい定義とかは、きっと学者の方々に任せればいいのだろうし、もちろん、すでにちゃんとした答えがたくさんあるのですが、私がやるべきは、それを実感レベルでわかりやすく理解し、使える知識と技術に置き換えることだと思うので、その意味ではまだまだということです。 反省・・・。
私なりの答えがないわけではないんです。 ただ、実際、「ひとことで」と言われると、私もちゃんとした答えにたどりついていないのですよ。
ブランドには、ふたつの欠かせない本質的な特徴があって、それぞれに説明は用意できているんですが、それをうまくあらわす「ひとつのかたまり」にできていないんです。
ひとつは、「ブランドとは老舗である」ということ。
ブランドとは、お客様の心と頭の中にできあがっているイメージや連想や知識の総体で、その評判や信頼・愛着といったものを醸成していくことで作りだされるものなんですよね。 そのために、あらゆるマーケティング活動を通じて、継続的に、かつ、一貫したメッセージと中味を提供し続けなければならない。 で、ようやくブランドができあがる。 それって、江戸時代、あるいはそれ以前から、商売人たちがやってきたことと、本質的には同じことなんですね。
西洋の(古い響きだなぁ)理論に思ってしまいがちなブランドという概念ですが、ブランドにエクイティーとかアイデンティティーとか、戦略的構成要素とかが存在し、ブランドをあらわすシンボルやイメージがあるように、老舗にはそのこだわりや、創業者のことばや物語、家訓があり、老舗を象徴するのれんや看板や評判が存在するわけです。
ブランドとは老舗のことであり、ブランドマーケティングと言うのは老舗を3代100年かけずに作る手法のことだと考えれば、なんとなく私たちが語ることば(日本語)の実感レベルで理解できるのではないかな、と。
もうひとつの、ブランドを特徴づける概念で欠かせないのが、「ブランドは人格を持っている」ということです。
マーケティングの用語にブランドキャラクターというのがあって、似てるんですが、実際の運用を見ていると、これはそれより少し大きな概念かも知れません。
ともかく、一度名前を付けられて世の中に出てしまったら、もうそれはひとつの人格で、勝手に人格を変えることはできないんです。 (いや、できなくはないけど、難しいし莫大なお金がかかる、あるいは、誰も知らないマーケットに引っ越していちからやりなおしたりしないといけない。)
たとえ、親(開発者や売り主)であっても、人格を持っているものである以上、何をするにもその「ひと」と対話しなきゃいけないし、その「ひととなり」に合ったものしか似合わない=売れない、ということです。 親にできることは、すくすくと育っていくことを手助けすることであって、人格形成の邪魔をしたり、人格をゆがめたりすることは無理なわけです。 下手なことや無理をしても、「イメチェン」(えとじやマーケティング用語: キャラに合わないことをして、お客様に「い~たい」と思われてしまうこと)にしかならない。 イメチェンなら笑って済ませられますが、ぐれたり、家出したり、人格崩壊したら、ねぇ。
逆に、とてもとてもとてもよくある間違いなのですが、世の中には、ブランド化とは、きれいなデザインを施すことだと勘違いしているひとが、それはもうびっくりするくらいわんさかいて、それは魂のない人形にきれいな服を着せて「踊れ!」って言ってるようなもんなわけです。
それはともかく、ブランドには人格があって、ブランドマーケティングとは、その人格を尊重し、さらに成長させる手助けをすることかな、と。
このふたつを、ひとつにできるものを見つけられれば、質問いただいた「ブランドとはひとことで言うと何ですか?」の、えとじやらしい答えをご提供できるのですが・・・。
なかなか、いいのが見つからないんですよ。
「ブランドとは、老舗であり、人格を持ったものである。」
う~~ん、いまいち。
「ブランドとは、人格を持った老舗である。」
余計に、わけわからん。
まだまだ修行だな、これは。
当分、「ブランドとは老舗である」&「ブランドには人格がある」の2本立てでいきます。
(ちなみに、この話題に関しては今までも何度も書いてまして、こちらをクリックしていただくと、わらわら過去の記事が出てきます。 「夢を売らないブランドは売れない」)
お。
前の記事では、ブランド(作り)は手段か、目的か、あるいは結果なのか、という点について少し書きました。 今回も、その続き、つまりブランド作りに関する認識の違いみたいなものを、また、つらつらと書いてみることにします。
手段か目的か、に大きく関わるんですが、ブランドに関する意思決定の思考・行動様式の違いみたいなことで、なんとなくそれを、「原則」型意思決定と「文脈」型意思決定、と名付けてみます。
やはり、世の中にはブランドマーケティングに向かない、というか、関わるとブランドが壊れる、という考え方というものがあって、それは、どうも文脈型の思考・行動様式なのではなかろうか、と、思ってみたりしたわけです。
ブランドを作り、育てる、ということは、そのブランドがどうあるべきかを決めることと、決めたことをひたすらに実践し続けていくことに他ならないんですが、その決めごと=ブランド作りの根幹をなすもの、ブランドの戦略的な要素をまとめたものをブランドエクイティーステートメントとか、ブランドアイディンティティ―とか呼びます。 企業などによって名前が違うことが多いのですが、ここではエクイティーと呼んでおきますね。
ターゲットとか、ブランドの使命とか、コアとなる価値観とか、ブランドの人格とか、ブランドを構成する戦略的な要素をまとめたもので、書くのも使うのもすごく難しいんですが、でも、とっても大事な「決めごと」を記しておくものです。 (創業社長(や、ブランドを最初にデザインしたひと)がいまだ健在で、ぶれないし、細かいことも全部決めてくれる、という場合は、こんなもの必要ないんですが。)
こいつを一度決めこんだら、製品やサービスの開発やラインナップから、デザインから、広告やプロモーションから、言葉遣いから、さらには、そこで働く人のモノの考え方・発想に至るまで、すべての活動をこれに沿って進めていくわけです。 よくバイブルとか言われたりするのは、そういうことですね。
さて、そうなると、当然、ブランドを作り、育てるためには、その思考・行動様式は、「原則」型意思決定であるほうがいいわけです。 なにせ、常にブランドエクイティーをもとに考え、それを基準に判断し、さらにはエクイティーに触発されてアイディアを考え出さなければならないわけですから。
しかし、やっとこさエクイティー作って、いよいよがっつりブランド作りよ、というところで、なぜかいつも、
「でも、これはエクイティーを決める前に進めてたことだからこのままでいいですよね?」とか、
「それはそれとして、競合が姉妹品を出してきたので、うちも出します、エクイティーには合わないかも知れないけど。」とか、
「エクイティーにはいまいち一致していないけど、ターゲットが欲しいっていうから、作りますね。」とか、
「エクイティーにとらわれてると大きなアイディアが浮かばないので、ここはまず、白紙からやってみましょう。」とか、
果ては、
「エクイティーが、ビジネスを制限するのは、おかしい。 書きなおそう。」とか、
「アイディアが思い浮かばないエクイティーはよくない。 とりあえず、なかったことにしよう。」とか、
わらわらと出てくるわけです。
例外なく。 不思議なほど。 どこで誰と仕事していても、必ず出てきます。
これらは、傾向としては「文脈」型の思考・行動・意思決定の様式ですよね。
まぁ、世の中なんでもバランスなわけで、100%どっちかってことはないし、実際、私の経験でも私がエクイティー原則主義寄りで、パートナーがビジネス実利主義寄りで、ちょうどぴったり、なんてこともたくさんありました。 それでも、「最後はブランドが一番大事」という一点で合意できていさえすれば、大丈夫なんです。
が、世の中には、ブランドマーケティングに全く向かないひともいます。 「文脈」型意思決定が強すぎると、だめですね。 結構優秀なビジネスパーソンだったりすることは多々あるんですが、ことブランド作りに直接関わることに限っては、やめたほうがいい、というタイプ。
こういうひとは、口では「ブランドは大事」と言っていても、結局そこで裏切る。
彼らは自分たちのことを、臨機応変とか状況に迅速に対応するとか表現しますね。 しばしば、「そのことはよくわかっているが、今はそういうことを言っている場合ではない」とかいうことを言うので見分けがつきます。 (ちょっと冗談。 実際は、そんな単純じゃないです・・・。)
やっぱり、思考・行動・意思決定において、ブランドエクイティーを原則として考え、律することができること、ということなんですが、言わば、随分禁欲的な行動と思考なわけです。
なんか、宗教っぽくなってくるなぁ・・・・。
これ以上進むと精神論にしかならなくなるかも知れないので、ここでストップ。
ただ、なんとなく、いろんな会社やブランドの傾向を分析していて感じるのは、欧米系外資のブランドって、ここのぶれが少ないなぁ、ということ。 VirginとかAppleとかGoogleとかをちょっと思い浮かべてもらうと、なんとなくわかってもらえるかしら。 原則を決めて、それに沿っていろいろなことを決め、作っていってる感じが強い。
一方、日本の大企業って、商品は数え切れないほど持っていて、とっても「臨機応変」にそれらを展開してきたんだろうけど、強いブランドが少なすぎるんじゃないかなぁ、とかね。
まぁ、そんな大企業のことは私にはあまり関係ないか。
まずはなんとかブランド作りの「目的としての正当性」を理解していただかないといけないわけで、それが私の仕事なんですよね。
しかし、どうやって説明すれば、もっとすんなりわかってくれるんだろう。
で、またうじうじ悩む。
(うじうじ続く。 次はすっきりわかりやすい記事にしなきゃ。)
お。
