変容遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。 弊社も、このブログも、8回目のお正月を迎えました。

いや、ちょっとここのところ、ブログ、さぼりすぎですね、すいません。 ちゃんとしま~す。

今後ともよろしくお願いいたします。
 

さて、新年早々、ちょっと概念的なお話しで、なおかつ、まとまりのない内容で申し訳ないんですが、最近、ちょくちょく考えていることをつらつらと書いてみることにします。

もう少し言うと、私はなぜマーケティングの仕事を楽しいと感じているのか、の、ひとつ、について。

あるいは、マーケティングの目標や役割を具体的に設定するためのコツ、かも知れません。

かなり「あたりまえ・基本」の内容ですが。

 

マーケティング、特にマーケティングコミュニケーションの仕事って、もちろん、何か(キャラクターとベネフィット)を「知らせる・知らしめる」、その結果として、モノやサービスを「使ってもらう・買ってもらう」ことなわけですが、まぁ、世の中そんなに簡単に、するするっと物事が進むわけもなく。 一目見ただけで、誰もが手にしたくなる、使いたくなるようなものなら、一気に行けちゃうんでしょうが、たいていの仕事はそうはいかないわけです。

そういう状況の中で、マーケティングに課される役割をもう少し小難しく表現すると、ひとの認識や感情を変容させ、できれば、その先で行動が変化するように仕向けることなんだろうと思うわけです。

もちろん、メディアやツールによって、得意分野も役割も違うので、典型的な例で言えば、店頭やレスポンス広告、あるいは限定品などのように、目の前のひとの行動を変える一押しのために、煽ったり、焦らせたり、ハードルを下げたりするのが得意なものもあれば、デザインや広告のように、じんわりと、気分や感情を揺らしたり、あこがれや夢を抱かせたりするのが得意なものもありますが、総じて言うと、「認識や感情を変容させ、行動が変わるように仕向ける」ことなんでしょうね。 ことわざ的に言うと、馬を水飲み場まで連れていく仕事? ちょっと違うか・・・。

 

要するに「知らない」が、「確信している」に変化すれば、かなりの確率で、行動が変化し、使う・買うに至るはずです。 んが、これが大変なわけですよ。 家族や親しいひとが相手ならまだしも、間接的にしか影響を与えられないことの多いマーケティングの世界で、しかも、多くの場合、会ったことないひとたちを相手に、この変化を起こすのは、難しいに決まってる。

そこで、「知らない」と「確信している」の間を、もう少し分解して、食べられる大きさ=解決可能な段階に分ける。

その分け方に、そして、それをどう定義づけるのか(言語化するのか)に、この仕事のおもしろさがあるんだと思います。

 

例えば、「知らない⇒必要だと知っている⇒使う⇒使い続けるべきだと確信している」という、単純で大雑把な変容を想定する、と、当然、とても大雑把な、やたらお金のかかる戦略とプランにたどり着きます。 別に間違っているわけではありませんよ。 資金があって、その効果を受け止めるAvailability(流通など、手に入りやすさ)を確保できるのであれば、やれないことではないし、たぶん20年くらい前までは、(マス)マーケティングといえば、これが基本だったとも言えます。

でも、もう少し柔らかい変容を想定すると、また、違った風景が見えてきます。

例えば、「聞いたことがある⇒気になっている⇒必要だと知っている⇒使ってみる」とか。

さらに言えば、「必要かもと感じている⇒必要だと知っている」。

 

これらの、それぞれの段階に、どんなひとがどのくらいいて、何を考えて・感じて暮らしているのかを探り、「⇒」のきっかけになったものを掘り起こしていく、そして、それらの優先順位を決めていくと、マーケティングが何をしないといけないのか、と、どうすればいいのか、(そもそも「⇒」は可能なのか)、が見えてくるんですね。

 

そこに、鉄板のルールや法則があるわけではなく、カテゴリの特性、ビジネスの状況やサイズ、投資可能なリソースと求められる売り上げ・利益のバランス、などを考えながら、ぴったりの「変容モデル」を考える・定義しないといけない。

でも、細かく設定しすぎると、身動き取れなくなるので、「いい具合」を見極める必要もある。

といって、世に出回っているモデルを当てはめるだけでは、そこに潜むチャンスやインサイトを逃してします。

なので、とてもクリエイティヴな思考作業です。

これが楽しい。

 

例えば、「必要かもと感じている⇒必要だと知っている」は、一見、同じように見えます。 調査でも、特に定量調査では、なかなか分けにくい。 そもそも、分けるべきだと知っていないと、調査しないですし。 でも、定性調査すると、「あれ、このひと、さっきのひととなんか違うぞ? 言ってることは同じだけど。」と見えてきたりします。 (いったん見えれば、定量調査も可能ですが、それはともかく、)

そうすると、なぜ、「感じている」けれども、他人に言われるまで忘れてたり気にしてなかったりするのか、とか、「知っている」ひとが、何をきっかけにそうなったのか、とか、深い理解に近づくきっかけを見つけることができます。 (そして、このエリアって、わりと大きな結果や素早い改善につながることが少なくない。)

これが楽しい。

 

そうするためには、そもそも、「感じている」と「知っている」には違いがあることを意識できて、それを言葉で定義づけできないといけない。 言語化というやつですね。

これが楽しくてしかたない。

 

どうやらそういうことなんだな~、と。

 

すいません、新年早々、当たり前で、かつ、なんだかぼんやりした話で。

では、みなさまにとって、2017年が楽しい年になりますように。

 

お。