okamura-san私個人の考え方というか姿勢の話です。

私は、マーケティングに関わるデザイナー、あるいはアートディレクター、ひいてはクリエーターと呼ばれるひとたちは、原則として「やればできるひと」だと考えています。

(え??? そうなんですか?と言ってる、そこのクリエーターさん、そうなんですよ、実は。 ま、原則、ですが。)

理由のひとつは、というか、最大の理由は、私には絵心が無いから、私は理屈で考える・動くひとだから、なんですが・・・。

簡単に言ってしまうと、私(のような理屈中心の人間)とは、違う角度でモノを見ていたり考えたり、発想が違ってたりするということ。


もう少し解説してしまうと、私が論理や言語を軸に発想したり組み立てたりするのに対して、彼らの多くは、映像・絵や、感覚(音・ニオイ・手触り・雰囲気など)を軸に「うごめく」ので、私には「創造的ジャンプ」をしているように感じる・見えるということでしょうか。

なので、私には思いつかないようなアイディアのタネを出してきてくれる。

私には渡れない川を飛び越えてくれる。

私が考えなかった場所や角度にこだわってみせてくれる。

私には「魔法が使えるひと」に見えちゃうわけです。

 

そして、私がこの仕事をしていて、最も楽しいと感じるのが、そうしたデザイナーさん(ここではデザイナーとしておきます)と、一緒に何かを作り上げていくこと。

まず、私が「ことば」で、達成したいこと、概念・コンセプト、戦略、どんなことが起きてほしいか、何に困っているか、を伝えます。

すると、それに対して、デザイナーさんが、何らかの「ネタ」を持って帰ってきてくれる。

「こんな感じのことを言ってます?」

「例えば、こうなったらうれしい、ってこと?」

「こういう「かわいさ」かな?」

「これ、できたら、わくわくしません?」

私には見えていなかった何かが出てくるわけです。

すると、今度は、私の脳が刺激されて、

「あ、それはことばにすると、XXXOOOってことですね?」

となります。 ま、このブログで何度も書いている「言語化」ですね。

この時点で、最初の「お題」が、少し違うものに変換され始めるわけです。

すると、それがデザイナーさんの脳を刺激するようで、「なるほど、そう考えるのね、じゃ、こうしよう・これはどうだ?」と、最初のネタから、さらに進んだものを持ってくる。

そして、私がそれに名前を付ける=「アイディア」の出来上がり。

 

このやりとり、キャッチボールが大好きなんです。

(私が染太郎で、デザイナーが染之助って感じですね。 たとえが悪い・古い??)

 

「デザイナー性善説?

でも、いいものが出てこないで困ってるんだけど、なぜ?」

以前、シリーズ記事として書いたこともありますが(「他人にものを頼むなら」シリーズ)、

それは「頼んでいるあなたの依頼が悪いから」です、たいていの場合は。

彼らには、魔法が使えます。

しかし、魔法なので、十分な刺激があって、気分が乗っていて、しかも、その魔法を理解してくれるはずだと信頼している相手がいないと、出てきません。 魔法そのものは、完成品でないとわからないことも少なくないので、受け手に制作前の設計図やラフでそれを理解できる・想像できるスキルが必要です。

そういう条件を整えてあげるのが、マーケター(戦略側のひと・発注者)の「仕事」なわけです。

そのためには、原則として彼らは「やればできる」ひとたちだと信じないとスタートできないし、前に進まない、というわけです。

 

 

というようなことを、30年近く前、社会人なりたての私に教えてくれた「恩師」が、一昨日、ご永眠されたとの連絡をいただきました。

「そのうち、また、会いたいな~」と時折考えながらも、訃報が届くまで何のアクションも起こさず、「ああああああっ」ってなっている自分が情けないばかりです。 今の私の仕事を見てほしかったなぁ、とか。 だめですね・・・。

ご冥福を深くお祈り申し上げます。

 

お。