定量分析についてのシリーズ記事、最終回です。
その①では、データを見るときに、“つい細かいところに気をとられて全体像を見失ってしまう”という落とし穴、 その②では、“十分な分析をせずもっともらしい理由づけをしたために、本質を考える機会をなくしてしまう”という落とし穴でした。
どちらも「あるある~」と読んでいただけたらうれしいです。
今回は、最近私の周りで最も多い“あるある”談なのですが、それは、
よくあるパターン③ 「低いものを何とかしたいという衝動を抑えられない」
これは、どうデータを見るかというよりも、どう結論付けて戦略をたてるか、という“考え方”の話です。
もし担当商品のシェアが、「Aエリアで25%、Bエリアで20%、Cエリアで20%、Dエリアで15%」だと言われたら、あなたならどうしますか?
Dエリアを何とかして伸ばしたい!という気持ちがわいてくるのでは?
頭では“そんなに単純じゃないハズ”と思いながらも、低いところが気になって気になって仕方ない、何とかしたいという衝動に駆られるのではないでしょうか。
低いほうが伸びしろが大きいから?
低いほうが伸ばしやすそうだから?
もしかしたら、デキの悪い子ほどかわいいから?(笑)なのでしょうか。 (ちなみに、この「下がっているから・低いから何とかしよう!」という反射的な分析方法を、店主は“体育会系分析”と呼びます)。
実は、以前外資の会社で働いていたころは、この“体育会系分析”にお目にかかることは、ほとんどありませんでした。
頻繁に遭遇するようになったのは、日本企業のクライアントさんとお仕事をするようになってからです。 同じデータを見ても戦略が逆になることも少なくなく、初めのうちは「なんで??」と、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいでした。
例えば、男女の売上比が7:3だった場合、“男性にうけているので、男性にもっと買ってもらうようにしよう”というのと、“女性に売れていないので女性向けにして5:5にしないと!”というのは真逆の方向性ですよね。
ダメなところを改善したい、下がったところを元に戻したい、みんな横並びに揃えたい、と反射的に思ってしまうのは、もしかしたら日本人の性なのではないか?と思ったりします。
通知表で、もし国語4、算数3、理科3、社会2をとったら、十中八九“社会を頑張りなさい”、って言われますもんね。 社会はいいから国語で5を目指しなさい、と言う先生はなかなかいません。
ちなみに上記のABCDエリアの例では、もちろん、まずはエリア構成比を確認します。 Aエリアが5割、Dエリアが1割なら、Aをさらに伸ばせるか考えてみます。 投資効率がよい場所に投資する、強みを活かせる・勝ち方がわかっているエリアで戦う、が基本です。 シェアが低いのは低いなりの理由(ターゲットが少ない、とか、強い競合がいるとか)があるはず。 「低い=伸びしろが大きい」というマーケットはそう簡単には見つけられません。
ただし、なぜ低いのかは、確認しておきます。 その理由が大切な・伸びているエリアにも当てはまるものなら、低いDエリアをなんとかするためではなく、高いAエリアをさらに強くするための、または、気を付けないといけないヒントがあるかも知れないから。
ともかく、もちろんビジネスの状況によりますが、「売れていない商品に力を入れる・売れていないエリアやチャネルで頑張る・買ってくれない人に売る」ことは、たいていの場合、「売れているものをさらに売る」よりもずっと難しく、多くのリソースを必要とします。 低いところを何とかしたいという衝動のままに、投資効率の悪い“デキの悪い子”にはまってしまわないよう、気を付けてください。
それと関連して、分析を戦略に落とすプロセスでよく起こるもうひとつの問題が、「やらないことを決められない」ということ。
たとえば、上の例で言うと、「Aではシェア30%のエリアNo.1を目指し、B・Cエリアも伸ばしつつ、Dも20%に改善する」、なんていう目標を立ててしまったりします。
もちろん会社の規模や投資額にもよりますが、普通は人や予算が急増することはないので、どこかに力を入れるとどこかはおろそかにならざるをえません。 全部ちゃんとやる!というのは結局、やるべきところに力が注がれない=戦略を決めていないのと同じです。
でも、分析上(数字上は)理想的なシナリオを作ってしまえるので、要注意なのです。
戦略的である・戦略を決める、ということは、「やらないことを決める」と同義と言ってもいいと思います。 だから、Strategicという英語は、「戦略的」と訳すより「選択と集中」と訳したほうがしっくりきますよね。
データは客観的で、データさえあれば(だれでも)正しい決断ができると思われがちですが、そうではありません。 成功確率の高い戦略を導き出せるかどうかは、データの見方で変わってきます。
全く同じデータを見ても見る人の分析力、立場、情報量などによって結論は様々です。 きちんと分析できなかったがゆえに、成功のチャンスを逃してしまったり、背負わなくてもいいリスクを負ったりすることも(むしろ、データがないほうがよかったという場合も・・・)。
データさえ見れば答えがわかるというのは幻想。 やっぱり、使い方次第です。
定性調査で「消費者に聞けば答えがわかる」という誤解と同じですね。
この定量調査シリーズの冒頭に、多くの人のデータ分析を観察していると、「データを読むの上手だな~」という人と、「え…そんな見方するの?」という人がいて、データを上手に使う人と使えない人の違いは明確だと書きました。
何が違うんだろうとあらためて振り返ってみて、その違いは、数字(というただの記号)からヒトやモノの動きを読めるかどうか、つまり、数字の向こうにヒトの行動があることをちゃんと想像・洞察できるか、にあるのではないかと気が付きました。
データ分析は、数字が「高い(上がっている)」、「低い(下がっている)」もしくは「目標到達したかどうか」を確認するためだけにしているわけでありません。
数字は市場で起こった一連の出来事の結果であって、その原因(何が起こっていたのか)を知るためにやっていることなんですよね(スコアカードばかり見ているとついつい忘れがちですが)。
その意識や探究心、それから、数字からヒト・モノの流れの仮説を作り出せる(そして検証できる)力みたいなものがとても大切なんだろうな、と思います。
インサイト・洞察力というと、定性調査との関連で語られることが多いですが、実は、定量データの分析や戦略の開発にも必要な、とっても重要なこと、なんだということですね。
和。