P9231610間違いなく「今年の重大ニュース」みたいので、年末、また何度も見ることになるであろう例のパクリ?問題、そういえばあのニュースが華やかだった時期、職業柄(?)いろんな人に「あれはどうなんですか?」とか「さのけんってすごいんですか?」とか、聞かれましたね。

それにしても、なんともやりきれない、悲しい気持ちになる事件・事故でした。

あの件とその後の狂ったような騒動・悲劇そのものの是非とか、そういうのは私みたいのがここで論じたりしても仕方のないことですが、確かにマーケティングに携わる者としてちょっと学んだというか自省したことはあって、ちょっと書き留めておこうかな、と。

 

 

昔々、「士農工商代理店」という言い草がありました。 私世代~上の方々なら聞いたことあるかも。 このことばの自虐趣味的な品の無さはちょっと横に置いておくとして、代理店をマーケティングと読み替えてみると、ある意味とても示唆的というか、言いえて妙というか。

マーケティングって、やっぱりとっても身分の低い仕事なんですよね。

「商」として蔑まれた階級の、さらにもうちょっと下。 「商」の下支え、明らかに「裏の仕事」なんです。

あの騒動を見ていて、そう痛感しました。 (もちろん、誇りをもって仕事してますよ、私は。)

 

携わっている人たち(私自身を含む)の目的意識や矜持は別にして、ちょっと周りの声に耳を傾けてみると、

「またCMに騙されて」「広告に踊らされてはいけない」「入れ物だけが立派で中身はたいしたことない」「容器に金を払っているようなものだ」「デザイン(見た目)だけで値段を上げている」「中身は安いのに、広告費を払わされているようなもの」「タレントさんは広告ですごいお金をもらっているらしい」「どうしてこのDMが・メールが・ネット広告が・電話が私のところに来るの、どこから名簿を手に入れてるの、こわいわね」「口コミまでも操作しようとしてるのよね」「自分で考えずにお金を払って調査とかやって決めてるらしい、アイディア代は払わないくせに」、そして「そうして儲けた金で高級車を乗り回している(のは、バブル期の広告業界のひとのイメージ?)」などなどが聞こえてきます。

そういう認識がひとびとの心に存在する仕事であることは間違いないんだと思います。 ひとの弱みにつけこんだり、ひとをうまくだましたりする仕事なんだ、と。 そうだということではなく、そういう認識が存在していることを知っておくべき、ということですが。

 

だから、アーチストがやるべき「表」の仕事に、例えば、マーケティングの世界で成功したデザイナーが顔を出すのには、リスクがあったんだと思いますね、とっても残念ですが。 「なぁんだ、元HH堂のやつか」みたいな。 どれだけ実績と実力があって、成功者であったとしても、所詮それらは裏の稼業での話。 その身分のまま、その世界で話題になってる分には問題ないんでしょうが。

糸井重里氏は、知識人的な立場の露出も少なくないですが、でも、彼はそういう意味ではとても注意深く行動してらっしゃると思いますね。

ちょっと強引な論理のように思われるかもしれませんが、私個人としては、そう考えた、という話です。

 

そして、実はあれがいけなかったんじゃないか、と思うのが、記者会見での「完璧な論理構成のきっちりとしたプレゼン」。 あれは反感買っちゃいました。

当然ですが、マーケティングの世界はビジネスの世界です。 そこでは、デザイナーなどのクリエーターが、自分のアイディア・提案の意図や背景、どこがどう優れているか、展開例などを理路整然と語れることはとても大切な(憧れの)スキルです。 そして彼は、そこがとてもとても優れている。

しかし、あそこで、ビシビシっと、さわやかに、わかりやすく「芸術」を(しかも世の中的には「自画自賛」の)解説をしてのけてしまうと、その内容や論理がしっかりしていればいるほど、「何あいつ、偉そうに」となってしまうわけです。 まさにアイロニー。

自分の作品が悪意のパクリではないことを、立て板に水のさわやかな弁舌で証明してみせるほどに、やはり(頭で理解できたとしても)心情的には「いいわけ」として聞きたくなってしまう。

きっと、あそこは、説明は主催側に任せて、本人は「芸術は爆発だ」的なことだけを語るべきだったんだろうなぁ、と。 (あ、もちろん、「的な」ですよ、じゃないと岡本太郎先生のパクリになって、さらに炎上ですからね。)

 

もうひとつ、マーケティング(ビジネス)の世界の常識が呼んでしまった悲劇があるとすると、彼はアーチストとしての立場のはずなのに、活動全体の目的や意義、エンブレムが果たす役割と利点を、ビジネス的に論理的に語ってしまうことによって、聞き手に「すべてが私の考えであり、私の責任です」と言っているように見えてしまったこと、でしょうか。

これも、ビジネスにおけるクリエーターのプレゼンとしては満点の出来なんですよね。 クライアントのビジネスの状況や目標と自身のアイディアの持っている役割と意義を、明確に関連付けて説明できること、は、実は、常に求められていることでありながら難しいこと、なかなかうまくできないことでもあるわけです。 なので、彼の「プレゼン」は、多くのマーケター・クリエーターの目には、「おお、すごい(拍手)」な見事なプレゼンだった。

が、普通に見てると「何、こいつ、偉そうに。 全部自分がすごいって話なわけ?」に見えちゃうんですよねぇ。

ここもやはり、主催者側が説明すべきだったんでしょうね。 裏方が出しゃばる場面ではなかった。 (あそこは、大島渚的に「バカヤロー!」でよかったんですよ、例えば。)

 

だらだらとどうでもいいことを書いてしまっているような気がしてきたので、このあたりで。

この騒動全体としては、なんともやりきれない気持ちしかないのですが、私個人としては、マーケティングの世界の常識と世の中の常識の違いが生む悲劇をまざまざと見せつけられた事件だったし、自分は裏の仕事、世の中的にはちょっとあやしい仕事をしているひとなんだよ、と自戒を新たにしました、ということです。

 

お。