「新しいアイディア、どんなときに思いつくんですか?」
という質問、よくありますよね。
で、答えは大抵「風呂に入ってるときに」とか「トイレで」とか。
じゃあ、長風呂に入ればいいのか?
もちろん、そんなわけはない。
私の場合も、もちろん、風呂やトイレやベッドに入ってから、さらには夢の中で(たいていろくでもないアイディアですが)思いつくことはありますよ。
でも、それが解決策ではないですよね、当然のことながら。
さてさて、
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マーケティングにおけるクリエイティビティとは、「サプライズギフトを贈る力」なんじゃないか。 それを思いつき、やってのけるちから、それがクリエイティビティ(創造力)なんだ。
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と書きだしたシリーズですが、やっと最後、3つめの話題です。
1回目は、「スキルとしてのクリエイティビティ」という観点から「クリエイティビティとは、新しいものを生み出すことではなく、いろいろなモノ・コトを組み合わせたり編集したりすることなんだ」というお話をしました。
2つめの記事は、「クリエイティビティを支えるモノ・コト」と題して、周辺要素としての「妄想する・もらい手を知る・ちゃんと渡す」の3つについて書いてみました。
以上で、「サプライズギフトを贈る力」としてのクリエイティビティの話はおしまいです。
で、この回では、「勝ちパターンを知る」と題して、アイディアを思いつくために、私自身は何をしているんだろう、という、わりと個人的なことを書いてみて、「自分だったらどうなんだろう?」と考えていただくきっかけにしてもらおうかな、と。
あくまで私個人の話です。 そのつもりでお読みいただければ、と。
3.「思いつく」勝ちパターンを知る
A.いつどんなときに「思いつく」のか? - 会議のとき
いきなり結論(?)ですが、私は「他人と話すこと」でアイディアを思いつくことが多い。
逆に言うと、ひとりでじっくり考えたり、キーボードを叩いたり、紙にひたすら何かを書いてみたりしても、あんまり出てきません。 お風呂に入ったり、トイレで長く座り込んでみたりしても、出てきません。
多くの場合、プロジェクトに関わる人たちと打ち合わせをしたりしているときに「思いつき」ます。
では、ただ会議をしていれば思いつくのか、というと、まぁ、さすがにそういうものではなく、どうやら他人の発した言葉や思い付きや意見や間違いに刺激されて、じゃあ、自分だったらどう考えるのか・どう思うのか・なぜ他人の考えに反応しているのか・なぜその意見を受け入れられないのか、などを考えていると、ふわ~っと「思いつく」みたいですね。
場合によっては、目の前で合意を形成できずに議論している人がいると、それを解決してあげたくて、何かを思いついたりします。
つまり、そうした外からの刺激がないと、思いつかない、ということです。
さらに、会議や打ち合わせなので、上記のように「思いついた」ことを、(なるべく)その場で説明しないといけない。 そのときに、どうやって説明したらわかってもらえるだろう・どういう言葉を選べば伝わるだろう・どういう言葉にすれば相手がびっくりしたりうれしがったり考え込んだりしてくれるだろう・どう言えば二人ともが納得できるだろう・どういうたとえ話をしたら「そうそう」って言ってもらえるだろう・どういう身ぶり手ぶりを交えるともっと伝わるだろう・どういう映像や状況を思い浮かべてもらえばよりおもしろがって聞いてくれるだろう、などを考えます。
すると、元の考えや思いや疑問が、新しいモノに生まれ変わったりするみたいです。
与えられた課題や、他人の意見や考えや思い、調査や分析などから出てきたポイント、それに「反応」してでてきた自分の考えや感想、こうしたものを組み合わせて、「うまく短い言葉で説明する」ように努力すると、それがアイディアになっている、みたいなことです。 (このポイントはあとでもう少し書きます。)
なので、私は、何かを思いつかないといけないとき=アイディアが必要なときは、複数の関係者と話し合う機会を設けるようにします。 それこそが、私の「思いつきの勝ちパターン」だからです。
だからと言って、会議が好きなわけではありませんよ。
私は、わかりきったことや、いつまでに誰が何をするかを確認したりするための会議は、大っ嫌いです。 「交渉」のための会議も苦手です。 私が何かを思いつかなくていい会議は、座っているだけで苦痛です。 なので、そういうのはなるべくやらないし、出ません。 出るとかえってみなさんに迷惑をかけますし。
B.「思いつく」ときの癖 - 手を動かす
私が会議中に、紙コップをつぶしたり(スタイロフォームのコーヒーカップをわっかに切ってバームクーヘンにしたり・・・意味わかりませんね、すいません、でも、知ってる人は爆笑してくれてるであろう、私の癖です)、チョコレートの包み紙やストローの袋を細く折りたたんで結んだり、突如ゲームを始めたり、なんだか集中力のない小学生みたいな行動を取っているのを見かけたことのあるかたは、私のまわりに、たっくさんいらっしゃると思います。
そういうときの半分以上は、実は、何かを思いつくために考えているのです。 (半分くらいは、単に飽きてるだけです、すいません。)
手を動かすと、頭が動くみたいなんです。
手を動かさないと、考えが同じところで行ったり来たりして前に進めないみたいです。
(鳩みたいですね・・・。)
さて、「あれ? なんかまとまってきたぞ。」となってきたら、次はホワイトボードやフリップチャートの出番です。 考えが完全にまとまるのを待たずに、フローチャートみたいなのや、相関図みたいのを書いて、考えやポイントをつなぎ合わせます。 そうすると、考えがずずずずずっとはっきりした姿を見せ始めます。
でも、手元の紙に書いたりはしない。 (というか、そもそも私は全くメモをとらないので、普段からペンも紙も持ってません。) なるべく、みんなの前で大きく書き・描きます。 私の考えがまとまっていくプロセスを(または、まとまっていない様子を)そのまま見てもらってる感じで。
そして、この作業は、ある程度煮詰まってきてからやります。 みんなで最初からポストイットに書いて貼っていく、とか、苦手です。
みんなの前で書くと、なんとかまとめないといけないというプレッシャーが生まれて、脳が稼働するというのもあるんでしょう。 さらには、みんなに「ほ~~~!」って言ってもらいたいのでがんばるし。
もちろん、それを見た他の人が、さらに意見や考えを言ってくれるという効果もあります。
でも、どうやら一番大きな理由は、そうやって手を動かすと脳が動く、ということなんだと思います。
C.「思いつき」をまとめる・形にする - 名前をつける
私はクリエータでもなければ、デザイナーでもないし、コピーライターでもない。 技術者や研究者でもない。
そんな私にとって、クリエイティビティの産物というのは、「ことば」であることがほとんどです。 (どうしても映像やアートでないと表現できないときは、私ひとりでは完結しないので、アートディレクターなどのパートナーが必要です。)
その時に、心がけていることは、思いついた概念や、あるいは、具体的な案を、そのままにしておくのではなく、なるべく少ない言葉の組み合わせで表現する=名前をつける、ことです。
うまく名前をつけると、みんなが喜んでくれる・覚えてくれる、というのもありますが、思考の働きとして、名前をつける=位相・次元の違う概念やものごとに置き換える、という作用があるので、それ自体がクリエイティビティにつながるというのがあるのだと思います。
これは、ずっと前にも記事にしたことがあるので、あまり突っ込みませんが(「ことはことばにできないことをことばにすること」)。
「名前を付ける」と、その前にあった概念や案や事実が、少し違うもの・新しいものに変化して、それを聞いた・見たひと(自分を含む)が、新しいことや別のこととの関連を見つけ出すことができる。
「再定義=Re-Definition」というのに近いのかな。 いや、連想ゲームですね。
D.「思いつく」ための準備 - 溜める・寝かせる
ここで、セレンディピティとかインキュベーションとかいうとかっこいいんでしょうかね。
でも、私の感覚としては、「いつか何かの役に立つかも知れないことを溜めておく」、「必要かもしれないデータや分析結果や、感情や感覚を含む情報を、どかどか溜めこむ」、そして、「それらをしばらく寝かせておく」という感じです。
2番目の、関連する事柄をダンプする、というのは、おそらく誰もがやっていることだと思いますので、ひとつめとみっつめについて。
よく「お。さんは、なんで(そんなどうでもいいことばっかり)いろんなことを知ってるんですか?」と聞かれます。
なんででしょうね。 いわゆる「記憶力」がいいわけではないんだと思います。 (特に数字・電話番号とか暗記とかは、無理です。 九九すらできないんで・・・。)
ただ、何かを見たり聞いたりしたときに、その前後の文脈と、そのときにいだいた感情・感覚(楽しいとかかわいいとか)を、瞬時に、ちょっとだけ「おさらい」してるみたいです。
そうして「溜めておく」と、よく似た文脈や感情・感覚を扱う考え事をしているときに、「むむ、そういえば、なんだか似たようなことを考えた・見た・聞いた・感じたことがあるぞぉ」と、そのことがむくむくっと起きあがってきます。
これをセレンディピティというのかどうか、わかりませんが、論理的に関係がなくても、感覚や感情や文脈や見た目に関係があれば思い出せるので、「一見関係なさそうなことを組み合わせる」=クリエイティビティにつながるというわけです。
このために、たくさんメモをとる方、Evernoteとかを駆使する方とかいますよね。 私はそういうことができないので、見てると、かっこいいなぁ、と思うんです。 「でも、メモはたまってるんだけど、もうひとつ使えない」、そういう方にアドバイスがあるとすると、メモって「文字情報」であることが多く、すなわち「論理的情報」なので、感情・感覚・文脈が抜け落ちる可能性があって、そうすると「あとで読んでも、何に使えるのかわからないメモ」になったりする。 そうしないために、「感覚・感情・文脈」も、一緒にメモるといいのかも知れませんよ。
そして、「寝かせる」こと。 これ、大事なんですよね。
「私は会議で思いつく」という話をしましたが、実は、その前にこの「寝かせる」というプロセスが必要なことが少なからずあります。
インプットやデータダンプがあってから、すぐさま何かを思いついたりはできないこともあって、そういう複雑な問題や難しい課題のときは、一旦それらを寝かせます。 要するに、一度、その仕事を忘れる、ということです。
しかし、実は、完全に忘れているわけではなくて、なんとなく考えてるんですね、ぼんやりと。 (そもそも小心者なんで、完全に忘れることはできない。 そして、無精者・さぼり屋なので、難しいことは、なるべく先送りしますし。)
冒頭に書いた、「お風呂に入っているときに思いつく」というのは、私にとっては、このことなんだと思います。 じっくりそのことだけを考えているのではなく、なんとなくやり残した宿題みたいに宙ぶらりんになっている課題が、シャワーを浴びてるときに、すすすっと出てきて、ちょこっとだけ考えて、コンディショナーを洗い流すころには、忘れてしまってて。
そういう具合に、少しずつ発酵したり、熟成したり、変化してるんでしょうね。 そういう意味では、インキュベーションなんだな。
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と、長々と、しかもずいぶん個人的なことを書いてしまいました。
どうやら私にとっては、
・普段、心が動いたものを、ちょっと頭のどこかに溜めておいて、
・仕事となったら、どかどかっと情報をダンプして、
・一旦忘れたふりをしながらそれを寝かせて、
・(小心者なのでときどき気にしておいて、)
・その後、関係者に集まってもらって、ごちゃごちゃ議論してもらって、
・手元にあるものをいじりながら考えて、
・いよいよとなったらホワイトボードに書きながら、
・それに名前をつける
というのが、「思いつく」ための勝ちパターンなんですね。
常にこうというわけではありませんが、パターンとして。
みなさんの「思いつくための勝ちパターン」はどんなんなんでしょうか。
「どうすると自分の脳がやわらかく動くのか」を自分で分析してみることは、(本屋さんでわけのわからない「発想法」の本を買ってきて読むより)役にたつように思いますが。
お。