では、どうするのか、ですが、答え、ではなく、「ヒント」は、「わたし(ターゲット)にとって何が大切かを考える」。 これが結論で、以下は、だらだらとひとりごと。

 


 


ここのところものすごい勢いで売れているコンパクトデジタルビデオカメラといえば、GoProです。 スノーボードを趣味生きがいとする私は、もちろん持っています。 サーフィン、スキー、スノーボード、自転車・バイク、などなど、アウトドアスポーツを楽しむ人たちなら、見たことあるでしょうし、持ってらっしゃる方も多いと思います。

GoPro写真を見ていただいたらおわかりだと思いますが、「開いた口がふさがらない」ほど、あっけないカメラです。 バージョンが進んで、いろいろ機能が増えてはいますが、基本、動画・静止画を撮る、以外のことはできません。

撮った画像は、本体では確認できません。 液晶画面をオプションで買って付けると見れますが、すごい勢いで電池が減ります。 新しい製品は、WiFiで飛ばして、iPhoneアプリで確認できますが、もちろん、面倒です(し、電池が減ります)。 家に(宿に)帰って、PCにつなぐまで、はたして撮れているのかすらわかりません。 (なので、ちょっと練習しないと、うまく撮れません。)

ボタンは3つくらいしかなく、動画―静止画など、機能を切り替えたいときは、何度も押すしかありません。

もちろん、ズームなんてありません。

しょっちゅう「フリーズ」するので、そのたびに裏のふたを開けて、電池をはずすという「強制終了」が必要です・・・。

アウトドア中心のカメラなのに、本体は全然防水ではありません。 ケースに入れて使うのがディフォルトですので、充電もデータの転送も、いちいちケースから出さないとできません。

ちなみに、実は、それほど安くありません。

自分の使い方に合わせて、いろいろなオプション装備を買わないといけません。

できないことだらけの、「撮る」だけのカメラです。

 


(このまま、このブランドの生い立ちとかいろいろ話し続けられますが、ここで止めておいて)

さて、このカメラを眺めながら、いつも友人たちと話すのが、

「こういうの、日本のメーカーには作れないんだよね~、絶対。」

「すぐ、いろんな機能付けちゃって、かえって使いにくくなるのよね。」

「そもそも日本でビデオカメラといえば、お父さんが運動会とかで子どものビデオ撮れないと、だから。 GoPro持って、学芸会とか行かないでしょ。」

 


(このまま、このブランドが、「文化」と結びついてブランドとしての地位を築いたという話しで盛り上がることもできるのですが、ここで止めておいて)

その通りだなぁ、と思います。 実際、いくつかのメーカーが同類のものを出しているようですが、どれも「多機能&高機能」です。 で、売れてません。

 


でも、ふと思うのですが、これがほんの2~30年前だったら、きっと会話は・・・・

 


「こんなカメラ、日本人じゃないと思いつかないし、作れないよね~。」

 


だったのではないか、と。

 


 


携帯電話の多機能っぷりは、すでにすっかり笑い話レベルなので、さておくとして、例えば掃除機。 (主に目に見える)ゴミをさっさと吸い上げてくれる機械じゃなかったでしたっけ?

しかし、電器屋さんに行ってみると、すごいことになっています。

吸うだけの掃除機が、ホントに欲しくて、ずっとだいそんを使っていたんですが、あいつもやがて回ったり叩いたりするようになって、今はMieleを使っています。 悲しいのは、日本のメーカーの掃除機は「吸う」以外のことばかり。

あるいは、「ペットのいる家庭のために特殊ヘッドを装備」しているおかげで、すぐに毛がからまって機能しなくなるという機能付き。

オフィスではRoombaも使っていますが、いいですよね~。 なんたって、階段どころか、ちょっとした段差も登れないし、床にモノが置いてあるとつまづいて止まってしまうし、ときおり鉢植えをひっくりかえしそうになるし、もちろん隅々はきれいになりません。 (家(充電器)に帰るようにデザインされているはずですが、結構な頻度でソファの下で力尽きてたりします。)
でも、掃除って、だいたいそれでいいんじゃなかったでしたっけ?

洗濯機も電子レンジもテレビもカメラも・・・・なにもかも、「どうでもいい使わない機能を付加することで価値を高め差別化をはかる」病です。

そして、これは家電とかだけの話ではないように思います。

「そんなの、ホントに必要なんだっけ?」

「それって、実際、何になるんだろう?」

「それで結局何が違うの?」

 


それでも、競合との差別化のために、差別化のための差別化として、付加価値を付けましたというために付けた付加価値が、そうしたものたちが世の中に出ていくことを正当化していく。

そうしたことを続けて、仕事をしている気になっていると、ある日、GoProが、Roombaが、現れて、あざ笑うように勝利していく。

 


差別化、も、付加価値、も、言葉そのものに罪はありません。

しかし、現実にはとても多くの場面で、「どうでもいい使わない機能・性能・成分・配合を付加することで価値を高め差別化をはかる」ことを後押しする形で使われているのではないのか、と思ってみたりするわけです。

 


で、どうしたらいいのか、というと、「わたし=使うひと」にとって、そもそも大切なものは何なのかから目をそらさない、ということだと思います。 いばらの道、ですが。

カメラは撮るためにある、掃除機はゴミをさっさと吸ってくれる、食べ物はおいしいから食べる、化粧品はきれいになりたいから使う、ママチャリは楽に素早く移動するためにある・・・・。

そこから逃げずに、どうしたらその「大切なもの」のために、「へ~、なるほどね~」、「それは助かるわ」、「うれしいね」、「楽しいかも」と思って・感じてもらえるのか、製品開発から広告やチラシの制作にいたるまで、そのことを考えること、なんじゃないかなと思うわけです。

 


(それができないから困ってるんじゃないか! とおっしゃる方が多いだろうこともわかりつつ、あえて「ほざいて」みましたが、このまま終わるのもなんなんで)

ひとつ前の記事「ブランドマーケティングは面倒くさいのか?」で、「製品が高品質であることを差別化と考える傾向が強い、云々」と、れ。が書いていますが、使っているひとがわかるレベルで技術的な差をもって差別化ポイントとする、のは、非常に困難で短期的にしか優位を保てなくて。 そして、それを正解と考えると、できないことだらけのGoProRoombaも解けない。

お客さんは性能や機能を買っているのではなく、「私の身に起こるうれしい現象」を買っているのですから、性能・機能のレベルではなく、ベネフィットのレベルで「他の製品・ブランドよりこれがいいなぁと感じ・考えてもらう=差別化」、あるいは、ベネフィットのレベルで「他の製品・ブランドにはない良さや愛着などを感じ・考えてもらう=付加価値」ように、と、考えてみてはいかがでしょうかね?

 


お。