マーケティング、という、誤解にまみれた怪しい言葉が犯してきた罪は、数え上げればきりがない。 それを看板に上げている私としては、その誤解をほぐしながら「実はこういうことなんですよ」と説いては稼ぎ、稼いでは説く毎日なわけです。 罪も多いですが、もちろん功も多いわけで。
さて、そんな中で、「これは確かに罪だよなぁ~」と思っていることのひとつ、「認知・認知率の罪」について書いてみます。
認知、つまり「知っている・聞いたことがある」という人が増えると、やがて「試してみたい・使ってみたい・調べてみたい・評判を聞いてみたい」という人が増えていき、すると自然と「買ってみたい」という人が増えていくので「売れる」。
AIXXXとかAI~~とか、大手代理店がでっちあげた提唱している、かしこそうなのも含めていろいろなモデルがありますが、今昔様々なモデルが基本この構造でマーケティングの効果を語ってきました。
きっと学問的に間違ってはいないのだと思います。 そして何より、(巨)大企業の(巨)大ブランドが行う、巨額の投資を前提とした戦略としては、非常にわかりやすいモデルです。 ましてや、テレビCMなど、「ちまちま考えてるより、ともかくばらまけば当たるだろう」的なお金の遣い方が可能な、いわゆる「札束マスマーケティング」の場合はそれでいいのだと思います。
しかし、これが、私としては、どうもしっくりこない。
何をどう伝えれば、良さをわかってもらって買ってもらえるのか、を考える立場として、また、札束で客(や競合)を殴り倒すようなタイプのマスマーケティングが大嫌いな私にとって、そして、
マーケティングの不必要な小難しさを取り去って、生活感覚・実感レベルで理解して、んで、そいつを使いこなそう、をモットーとしている私にとって、この「知らされた」から、やがて「使ってみたくなる」というのは、どうしてもうそくさく感じてしまうんです。
「知った」状態でしばらくすると「使いたく」なります? 私はなりません。
私の実感レベルとしては、「すごそうだ・素敵だ・おもしろそうだ」から「使ってみたい」が先にあって、初めて「じゃぁ、もう少し知ってみよう、あなたは誰ですか?」だと思うんですよ。 違いますかね?
世の中でよく言われる・聞かれる言葉に「目的と手段の取り違え」っていうのがありますよね。 「そういうのが間違いのもとなんだ」的に使われる言葉です。
しかし、実はこいつはそれほど大きな問題ではないんだと思っています。 目的さえ見失わなければ、手段の実現に傾注するのは、組織的に仕事をしていくうえでとても効率がいいし、手段の選択が正しければ、たいていいい方向に進むわけで、そこのプランニングをちゃんとやっておけばいいわけです。
問題なのは、「目的・目標と測定結果の取り違え」なのではないか、と。
例えば、「緊急車両の通行をスムーズにするために、幹線道路の違法駐車を減らす」という目的と手段の組み合わせは間違っていない。 目的さえ理解していれば手段に注力して、幹線道路の渋滞を短期的に減らせればいいわけで、道路の拡幅工事はもっと時間をかけてやればいいわけです。
しかし、それを「駐車違反の取り締まりを強化して、検挙(って言うんでしたっけ?)件数を昨年の2倍にしよう」に置き換えて、それを目標にしてしまったときに、目的と行動のかい離の大きな一歩が踏み出されるわけです。 「君、今月はちゃんと前年の2倍を達成したかね? 何、まだだと? 最近違法駐車が少ない? じゃ他の道路でもなんでもいいからともかく取ってきて、目標を達成したまえ!」とかね。
たとえ話が長くなってしまいました。
つまり、何が言いたいのかというと、マーケティングの活動には、「より多くの人に使ってもらいたい・買ってもらいたい」という目的があって、「認知・認知率」というのは、その活動の効果を測定する指標に過ぎない、はずなのに、数字で出てきてしまうがために、あたかもそれを上げることが目的・目標になってしまう。 確かに、ほとんどの場合、認知率のほうが使用率よりもずっと高いし、このふたつの数字は一緒に上がったり下がったりするので、余計にそう思うわけです。
ここで、「目的と測定数値の取り違え」が起きる。
ごくごく自然な流れとして、「まず知ってもらうことだ!」という行動に結びつく。 ましてや、メディアを担当している人と、広告を制作する人、販売などのチャネルを担当している人、売り上げや利益を管理している人が別々だったり別組織だったり、別の会社だったりすると、さらにひどくなったりする。
「認知率はちゃんとあげてやったのに使用率が上がらない・売り上げに結び付かないのは、流通担当がさぼってたからだ、私(たち)のせいじゃないよ~だ。」
(そういう人がたくさんいるんですよ、ホントに・・・。)
これがさらに罪なのは、やがてこの考え方がコミュニケーションの中味にまで悪影響を与えるから。
「知ってもらう、認知を上げるのが目的なんだから、ともかく名前を憶えてもらえばいいんだ(もらいさえすればいいんだ)!」
その結果、くだらない、何をいいたいのか、何をしてくれてどんないいことがあるのか、皆目分からないゴミみたいな広告とかができあがったりします。 得するのは大手代理店とその周辺の人たちだけ。
自分のいいところに興味をもってもらって、できれば試してもらいたい。 そう思って作って、いいものができたとき、そしてそれを世の中に出していったとき、「結果として」認知率という数値が上昇する、ということなんであって、認知率を上げることが仕事ではない。
仕事の結果を測定する指標ではあっても。
私はそう思って仕事していますが。
では、どうすればいいのか?
まず、ブリーフやオリエン、ビジネス文書に、「認知率を飛躍的に向上する」なんて難しい言葉を並べて仕事した気になるのをやめて、普通の言葉で正直に書けばいいんだと思います。
「より多くのお客様に、何がいいのかわかってもらって、使ってみたいと思ってもらいたいです。」
当たり前のこと、言うまでもないことだ、とお思いかも知れませんが、こう書いてあるオリエンシートがきたら、受注側やクリエーターは腕まくりしまっせ。
お。
追記: すでに高い認知率を達成している商品やサービスを担当されている方に、誤解のないように付け加えておきますが、その場合の高い認知率は「財産」ですので、大切に使ってください。 いい仕事(あるいは大量の投資)の積み重ねの結果です。 その質をさらに高いものにしていけばいいので、これを読んで、「ああ、どうでもいいんだ」と捨ててしまわないでくださいね。