うそちょっと大げさなタイトルだったかな。

誇大広告とか誤認を与えるとかそういう難しい話ではなく、「やさしいうそ」の話です。

メーカーで広告の仕事をしていたころ、見てくれている人に少しでも「そうだよね、そういうことあるよね」とか「あぁ、私もそれで困ってたのよ」とか「そうそう、そういうのがかわいいんよ」とか思ってほしくて、随分とリサーチをしたり、マーケティングの担当者や代理店の仲間たちと議論したりしたものです。

TVの広告ともなると、かかるお金が半端じゃないので、当然失敗を避けたいし、でも、大成功もしてみたいし。

何を伝えるのか、誰に伝えるのか、まずはここでひとしきり悩むわけですが、それと同じくその次に来る「どのように伝えるのか」、「何を表現すると何がわかってもらえるのか」も随分悩むわけです。

このストーリーでいいのか、このタレントさんでいいのか(こっちも随分お金がかかりますから)、とかも。

そんな中でよく出てくるのが「インサイト」という言葉。 これがなかなかの曲者で、これだけで何百冊も本が出てるほどの曲者。 なので、ここでじっくり話はしませんが、いいインサイトを発見したり開発したりするのが、マーケティングの醍醐味であるのはおそらく誰も異論がないことでしょう。

代理店のクリエーター(や、たまにはプランナー)さんが考えるインサイトの前に、そのネタ元にしてもらおうと、私たちも消費者の生活の中にある不安や不満や欲求や憧れを、自分たちの商品やサービスに関わる部分で探ったり考えたりするわけです。

まぁ、いくつかタネみたいなものを見つけて、結構玉石混交だったりしますが、それを代理店さんに投げるわけですね。 「これ、使ってください」(あるいは、これ、使えよ)。

んで、いよいよ絵コンテになって出てくるのをわくわくしながら待つわけですが、ここでしばしば議論になるのが、この「インサイト」と呼ばれる、得体の知れない情報を、はたして広告は表現するべきなのか?

これには、実は解答はありません。 そのインサイトの種類や内容、ターゲットの特性、メディアや広告表現の特性などによって、さらには担当者たちの好みにも左右されます。 これが正しい、こうすべき、というのはないんですね。

ただ、クライアントとしては、せっかく苦労して見つけてきたネタなので、使ってほしいし、できれば表現されていて欲しいと思ってしまう。 それが間違いではないことも多い。

あるいは、ちょろっと言えば全部わかってくれるから、わざわざ時間をかけてドラマ仕立てにしなくてもいい、ということも多い。

古い例ですが、ずぅっと昔、ももいかおりさんがスキンケアの広告で、「私がぁ、アフリカにぃ? 映画の仕事でいってたときぃ?」って言ってましたが、あれはそれで十分見ている女性には(日焼けして大変だっただろうなぁ)と伝わるので、わざわざサバンナまで出かけて撮影しなくて済みます。

ところが、ときどき、「おいおい、それを言っちゃぁおしめぇよ」ってことがあったりするんですね。

言わないやさしさ、っていうのもあって、「それは言わずにわかってもらおうよ」というパターン。

これも古い例ですが、布用消臭剤の広告で、お父さんが夏場汗をかいて帰ってきたときに、奥さんがスーツにしゅしゅっとするところ。 メーカー担当者の「研究」によれば、「お父さんは臭い、しかも夏場のお父さんのスーツはものすごい汗臭い、できれば家に入れたくないし、クローゼットに一緒に入れられたくない」んだそうです。 が、広告では、奥さんがさっとスーツを脱がせて、「お疲れ様、電車混んでた?」みたいなことを言ってしゅしゅっとするわけですね。

担当者は、「すいません、汗かいたってわかるようにちゃんと台詞を言わせてください」と。

すかさずクリエーターは、「そんなことは旦那さんも奥さんも見ている人もわかってます。 あなた汗臭いわね、なんて言いませんよ。 (これでわからないのはあなただけです。)」と。

なるほど、言わないけどわかってるよね、というやさしさです。 そんなこと、言われたくないですしね、わざわざ。

さて、さらに困るのは「それは言わない約束」=いわゆる「妄想」モノ。

でも妄想と願望はとっても仲良しなので、インサイトを探っていくと、必ず出てくるわけです。 本音というやつ。 えてして、大きな発見だったり、大きな成功につながる可能性のある「切り口」だったりする。 でも、それだからこそ本人には触れられたくないものだったりする。

「家族は口では言わないけど、私のことをすごい感謝してくれているんだ、実は」くらいの願望なら、わりとなんとかなりますが、「もしかすると、ものすごいかわいい子が今の私の生活から私を抜け出させてくれるかも」くらいになってくると少しずつ難しくなってきます。

ぬるい表現をしていると伝わらないし、堂々と描くと嫌われたりするし。 (「いかがなものか!」というお怒りのお電話をいただくようなこともある・・・たまに。)

こういうときによく使う手法は、明らかに「妄想」とわかるようにする、ですね。

実は「そのまま見せられると恥ずかしい、こっちが照れる」というのが、見ている側の気持ちだったりするので、その気持ちをやわらげる「お約束」を入れてあげる。

例えば、アニメを使ったり、日本・アジアでは外人さん(欧米人という意味です)を使うというのもよく見ます(映画を思い浮かべてもらえば。 それ、自分だったらかなり恥ずかしいけど、みたいのが平気で見られますよね)。 古典的な手法では、画面にぼんやりとした雲がかかる(いまどき見ない?)というのも。 最後にちょっと笑える「おち」がつく、とかもあります。

それ以上に多いのが、それをやっても許されるタレントさん・俳優さんを使う。

ORIXの篠原涼子のシリーズなんかはそれですね。 ねぇよ、そんなことは、と思いながら、でもあったらうれしいかも、と思える。

あと、佐藤浩市のMarkXも、かな。 (あれは、ちょっと恥ずかしすぎる気もしますが。)

いずれにせよ、「これはうそですよ、大丈夫ですよ」というサインをしっかり送る、ということ、です。

しかしながら、世の中には、やっぱりそれは言っちゃだめだよなぁ、というのがあって、私の好きなブランドが、ここのところそれをやってしまっていて、ちょっと心が痛いんですよ。


ルシード


ねらいとしては、間違っていないんだと思います。 これはかなりの確信をもって言えますね。

私自身が、まさにこのブランドと一緒にオトナになってきたドンピシャの世代で、若いころにそのかっこいいCMとパッケージデザインにすっかりやられてたわけですし、そして、この歳になると、いわゆる「ミドルエイジクライシス」というやつに直面し始めるわけで、「俺ももう若くないんだよなぁ」と毎日いやでも思い知らされる。

まさに、本音に触っているわけですね。

しかし、それが「痛い」。

先述した「これはうそですよ~」というサインが無い・少ないことがひとつの原因。 なので、自分の、出さないように苦労している本音が、丸裸で電車の窓横に貼ってあるのが、「痛い」。

(あ、お願い、それは言わないで・・・・。)

ただ、冷静に考えてみると、このインサイトは、実は、表現するたぐいのものではなく、戦略的な情報として使うべきものだったんじゃないのかなぁ、とも考えるわけです。

広告表現にそのまま出すのではなく、コンセプトや製品開発、あるいは、広告やプロモーションの「前提」となる大切な大切なインサイトとして、大事に使ってあげるべきものなんじゃないか、と。

もちろん、自分の顔や髪に使うものに対して興味が低くなってしまっている、打っても響かない人たちなので、ショッキングな手法は必要なんでしょうが、これじゃなかったんじゃないかなぁ、と。

ん? どうやら私は、「私にもっとやさしくして」って言ってるだけ・・・?。

いえいえ、せっかくしっかりとターゲットを絞って、いいインサイト=願望=妄想を見つけて、大英断でそこに突っ込むと決めたんだから、大事に使ってあげてほしいなぁ、と、マーケッターとしてのつぶやきですよ、あくまで。

お。