「走れと言われても、どのくらいの距離をどのくらいのタイムで走るのかを決めないと走れない」は、誰でもわかる常識なのに、なぜかビジネスの世界では、結構頻繁に「ともかく走れ」、あるいは、「ともかくそっちに向かって進んでいればなんとかなるだろう」を目にするという不思議。
これまで、ゴールの設定、あるいは、達成可能な夢を描くこと、そして、それに向けての戦略の策定、あるいは、やることとやらないことを選ぶこと、について少し語ってきました。
今回は、この(だらっとした)シリーズの最後として、実はこれが「ともかく走れ」の元凶なんではないか、と思う、分析の問題、そして課題をクリエイトすること、について書いてみます。
ビジネスの状況について分析をする。 マーケティングの世界では、走るときは右足を出したら次は左足を出す、くらい当たり前のことのはずなんですが、どうやらここに「ともかく走れ」の原因が潜んでいるのではないか、ということに最近気付き始めました。
とても多くのケースで、分析という名で呼ばれているものが、表面的事実の把握で終わっているんですね。
下がっている、多すぎる、小さい、足りない。
こういうのを、えとじやマーケティング用語では「体育会系分析」 といいます(ホントか?)。
それ自体間違ってはいないんですよ。 大きな結論として細かいところに入っていく前に捉えるべき事実ですから。
が、問題はそこからやおらアクションに飛び移ること。
つまり、「下がっている、じゃ、上げろ」、「多すぎる、そうか、減らせ」、「小さい? じゃあ大きくしろよ」、「足りないのか、だったら増やせ」と言う具合に。
そうなると、「ともかく走れ」になるわけです。
「そんな単純なこと、分析とは呼べないし、もっとちゃんとしてるよ」とおっしゃる方も多いでしょう。 実際、もっと細かくデータを読みこんでいるのを目にします。
しかし、ここにも落とし穴があって、こちらはえとじやマーケティング用語で「マニア系分析」といいますが、いろいろな技を駆使して数字を加工したり置き換えたり関数みたいのをかませたりグラフにしたり・・・。 で、結局、なんだかよくわからない結果だけが出てきたり。 「それはわかるけど、それでどうしろっていうのよ?」
または、「なるほど、数字が下がっている中で、特にXX地域のOO業態において、YYサイズの配荷が下がっている、これを直せばいいんだ!」みたいな、木を見て森を見ずを地で行くような分析。
こういうのは、いただけません。
単純なことなんですが、「下がっている」=「上げろ」の間にこそ、分析というのがあって、それは「なぜ下がっているんだろう」という問い、なんですよね。
そこに生まれた疑問や仮説を、さらに証拠探しをして固めていく。 それでも、なかなかはっきりしたものは見つからない。 そこで、他のデータや知識を組み合わせてみたり、現場を見に行ったりする。 「こっちは上がっているのにあっちで下がっている」とか、「増やしたのに下がっている」みたいなものを見つけたら、そこには何かあるはずです。 事実のうしろに潜んでいる真実。 彼らが顔を見せるのは、そういう場所が多いですから。
ときに「下がっているように見えるけど、本当に下がっているのか」というような見方も重要です。 何と・誰と、いつと比べているのか、ですね。
そうしていくことで何ができるのか。
それは課題を見つけること、というより、課題を創造すること、ですかね。
分析によって見つけた問題の原因や要因を、解決可能な少数の課題に置き換える力。
脊髄だけではできないことです。 Creativityがないといい課題は作れません。
賢そうな分析ツールを使っても、要因は見つかることはあっても課題は出てきません。 それもやはり、課題というのは「人間が創り出すもの」だから。
でも、これが「ただやみくもに走る」を抜け出すカギなんですよ、きっと。
右肩上がりの「安ものづくり」経済なんて、ただの昔話の世の中、へとへとになって走り続けても、給水所も無ければ、代わりのランナーもいない。 必死で走っているはずなのに、韓国人ランナーの姿はどんどん遠のくし、中国人ランナーたちにどんどん抜かれていく。
むしろ、「必死で走らずに済ませるにはどうしたらいいものか」って考えたほうが、いいようにも思いますが。
お。