ひねくれとあるクリエイティヴ向けセミナー、受講者からの感想文の中に、こんな質問がありました。


「私は素直な人間ですが、いいアイディアを生み出すには、お。さんのようにひねくれた性格がいいのでしょうか?」という、なんとも「素直」な質問。 


悪かったなぁ、ひねくれもので!


ブログのタイトルにもなってますから、そう言われれば、まぁ、その通りなんですが。 このブログのタイトルも、長くお仕事をさせていただいていたコピーライターさんがつけてくれたもので、私を「ひとことで表すとこうなるのよ」だそうです。


それはさておき、問題は「いいアイディアを生み出すにはひねくれた性格がいいのか?」ですよね。

どうなんでしょう。

私自身はクリエーターではないので、わかりません。

が、マーケティングに携わる者として、「ひねくれている」ことが持つ意味合いなら、ある程度は語れるかも知れません。


健全な「疑う気持ち・見方」というのか、猜疑心とでもいうのか、あるいは、もう少し軽く言うなら「物事を違った角度・視点から見る」力、ですか。 マーケティングをやっていくのに、決定的に必要な資質だと思います。


思えば因果な商売ですね。 疑うところからスタートして、人の言うことをそのまま受け止めずに、斜めに受け止めて、ひっくり返してみて、でも、最後のところでは、自分のブランドとお客様とを信じないといけない。 さんざん疑ってたくせに。

しかし、これができない人はマーケティングには向いてません。 言われたことを言われたとおりに受け取っていたら、何も新しい発見に出会えません。 インサイトは自分で発見したり作りだしたりしないと手に入りませんから。
そのくせ、最後にはブランドの持つ信念や力、そして、それを受け止めてくれるお客様(消費者)のことを信じないと、分析と批評は出来ても、プランは立てられないし、実行できない。 あるいは、腕の立つ商売人にはなれても、お客様と一緒にブランドを育てるマーケッターにはなれないですね。


しかし、さらにやっかいな商売だなぁ、と思うのは、「ひねくれたものの見方」を持ちながら、同時に素直に感動したりうれしがったり、かわいいと思ったりできないといけないわけですよ。

例えば、TVつけて、何気なくCM見てて、「あ、おもしろい」とか「なんかかわいい」とか感じることができないとやばいわけですが、そうしながら、「作り手の意図はどこにあるんだろう」とか、「これが正解なのか?」とか、「どういうつもりで、戦略を立てたのかな」とか、「いやぁ、うまいこと考えたもんだね、あやうくだまされるところだったよ」とか考えてるわけです。

たとえば、喉が渇いて、缶ジュース買って、ぐびぐび飲みながら、く~~~うまい!と感じながら、同時に「なぜこの色のパッケージにしたんだろう」とか「別の切り口でポジションしたほうがよくない?」とか「このネーミングは不幸だよね」とか「ちくしょう、うまいこと俺をのせやがったな、また同じもの買っちゃったよ!」とか考えてしまうのですよ。

たとえば、消費者調査に立ち会って、パネリストの方々が商品コンセプトのここが好きとか嫌いとかわからないとか言うのを聞きながら、同時に「どうしてこの人は、今、わざわざそんなことを言うんだろう。 好きです、とか言ってるけど、実は嫌いなんじゃないの?」とか考えてるわけですね。 (詳しくは先日のこちらの記事。)


あ~、やだやだ。 そりゃ、そんなことばっかりやってたら、ひねくれものにもなろうってもんよ。


(追記: サブタイトル、さっそく読んでくださった5promotionさんからいただきました。 ありがとうございました。)

お。