(あらかじめお断りしておきます、わりとマニアックな、しかも個人的な話です。)

 

「戦略」という言葉を聞くと・見ると、私の頭の中には、ヨーロッパの地図、大西洋岸からモスクワの東あたり、スカンジナビア南部から北アフリカ地中海沿岸あたりまでの地図が思い浮かびます。

 

戦略イメージ


 

言葉というのは、その意味がわかるだけでは使いこなせない気がします。 それが何らかのイメージ、できれば自身の経験と結びつき、反復・肉付けされていくことで、強くなり、使いこなせるようになっていくもの。 例えば、見たことも食べたこともなかったけど、のちに食べるようになった料理なんかを思い浮かべてもらえば。

 

しかし、戦略という言葉に代表される、それが指すものが「概念」である場合、それが難しいように思います。 仕事で使っていると、やがて、仕事における経験がある程度のイメージを結んでくれるようになりますが、戦略は、その中でも特に難しい言葉のひとつでしょうね。

例えば、「構造的問題」というのも難しい言葉ですが、構造=骨組みというイメージが思い浮かべやすいので、「そうか、壁紙や窓を取り換えても(表面的な修繕では)直せない、壁の中の柱や基礎・土台の問題なのね」と理解できます。

しかし、戦略という言葉は、そういう「生活実感」とも結びつきにくい。

さらに「戦略」という言葉を難しくしているのが、「あいつは戦略的だね」という風に日本語で使われる場合、「よく考えて、先々を見通して行動してるね」という意味合いよりは、「なんか、たくさん策を練って、ちょっとこすいやつだよね」というニュアンスで使われることが多い。

ずいぶん誤解にまみれた言葉でもあるわけす。 むしろ「ストラテジー」と言ったほうがいいとさえ思うことしばしば。

 

なので、仕事で、戦略もしくはStrategyという概念をうまく理解できないグループと仕事をするときは、「選択と集中」とか「目的合理的」とかいう言葉を使ったりして説明します・・・が、全体のニュアンスはなかなか伝わらないですね。

長期的視野で先を見通して、と言ったりすると、「じゃ、短期的には別のことをするのね」ってなったりするし。

(みなさん、音部さんの本を読んでください。 ホント、お願いします。)

 

さて、私はというと、実はP社で仕事を始め(て、この言葉を吐き気がするほど聞かされ、使わされ)るよりさらに10年ほど前、中学生のころに、この言葉に冒頭のイメージが焼き付いてしまいました。

 

「戦略」と聞くと、ヨーロッパ全図。

戦線と聞くと西ヨーロッパ、作戦=北アフリカ、戦術=広い野原と川と山、戦闘=町の一角の地図。 すべて六角形のマス目が入っています。

 

なんじゃそれは?

 

ゲームというとコンピュータが相手、または、結果やプロセスがコンピュータ処理されたものを指すようになる少し前(とはいえ、すでに喫茶店にはインベーダーゲームが置かれ始めてましたが)、当時すでにひねくれものだった少年お。を虜にしていたのは、戦車などのプラモデルと、その延長上で友人とやるようになった「シミュレーションゲーム」でした。 当時はまだ「ウォーゲーム」という物騒な名前で呼ばれていましたが。

マニアの、輸入モノなので、高かったですよ。 田舎者の私は、実物を見ることもできないまま、少ないお小遣いをちまちま貯めて、現金書留を送って買ったものです。 しかも、マニュアルの日本語がむちゃくちゃ怪しいので、英語のマニュアルを読む(といっても辞書を見ている時間のほうが長い・・・)必要に迫られたり。

高いものなので、実際に手にできるのは厳選したひとつかふたつ。 あとは、雑誌に載った広告やマニアの集まりの取材記事を眺めながら妄想するしかない。

そして、地図を広げると8畳の部屋でも狭いような場合もある。

一度始めると数時間~数日かかるので、なかなかできない。

駒は、1~2cm角くらいの、記号と数字がたくさんが描かれた厚紙で、最初届くと、数十枚~100枚以上もあるこれらをひとつひとつカッターできれいに切り離して、分類して、専用の箱は高くて買えなかったので、いただきもののクッキーの中箱に分けて入れて・・・。 

いかんいかん、思い出話になっている・・・。

 

「戦略」、でしたね。

 

実はこのシミュレーションゲームが、どのレベルの戦争をシミュレーションしているかを分類するのに、戦略・作戦・戦術・戦闘などの言葉が使われていたんです。

「戦略級ゲーム」と言う場合は、冒頭のヨーロッパ全図や、西太平洋~インド洋くらい、小さくても国境を接する2つ~5つくらいの国がカバーされる大きさです。

そこでは、ゲームの1ターン(敵味方それぞれ一回分+サイコロを振る)が1週間~1か月の長さ。 (ちなみに、戦闘級になると、1ターンが数分から数秒をシミュレートしてたりします。 5分も10分も考え抜いて、実際の数秒をやるって、変な感じですね。)

ヨーロッパの地図の戦略級ゲームの場合、1930年代後半から5~10年分くらいがゲーム全体の長さ。

(あ、もちろん、今、コンピュータやスマホのゲームでも、同様のゲームはたっくさんありますね。 この時代のものと(ほぼ)同じものも、もちろん存在します。 また、コンピュータのおかげで、戦略級のゲームをやりながら、ひとつずつの戦闘もプレイできたりします、すごい世の中になったもんだ。 そんなの、少年たちの夢・妄想にすぎなかったのに。)

 

なので、「戦略」という言葉が、私にとって否応なく示唆するものは、数年の長きをシミュレートしながら展開される一連の「ゲーム」の中で、ヨーロッパ全図を俯瞰で眺めながら、大きな目的・目標(ゲームの勝利条件)のもとに、方針を考えて、それに沿った優先順位で自国の軍を組み立て、育て、展開し、相手の動きを見て、相手の考えを読んで、サイコロを振って、軌道修正しながらも、当初の目的・目標は一貫して変えず(ゲームの条件なので、変えられない)に向かっていく、(でもサイコロの目で結果が大きく左右される)ということなわけです。 しかも、複雑なゲームだと、国家予算のうち、どの程度を軍備に回すのか、それは陸海空のどの戦力に充てるのか、そのバランスを考えないといけなかったり、さらに難解なゲームになると開発予算や工業生産力も影響してきたりします。 (こうやって書くと、ゲームがすごく強かったかのようですが、実際は弱かったのです・・・。 「それも学び」と開き直り、今に至る!)

同様に、作戦や戦術といった言葉にも、私にとっては、それぞれのレベル・次元と結びついたイメージがあるわけです。 もちろん、戦略そのものは、どのレベルであっても重要なんですが、言葉のイメージとしてはヨーロッパ全図、「大きな目的、大きな地図、長期的な方針、限られた資源と可能性、やるべきこと(やらないこと)の選択、相手があって状況を変える、必ず運に左右されるがそれに対する対処も考えておく、蛮勇が最悪手」みたいなことがくっついてくるわけです。

 

今思うと、ラッキーだったのかも知れませんね。

戦略という言葉に「???」ってなっているひとを見るにつけ思います。

 

それだけ? はい、それだけの話でした。

 

PS: あ、ちなみに今もボード型の「ウォーゲーム」は元気に存在していて、私と同年代のおじさまたちが集まってわいわいプレイしているようですよ。

 

お。