さて、今回は、「なぜ楽しいのか」というのとは、ちょっとずれるのかも知れませんね。 より正しくは「なぜ私はブランドマーケティングを楽しいと感じるのか」であり、さらには「これがわからないと楽しくないし、できないとうまくいかないんじゃない?」みたいなことです。
もちろん、あくまで私の個人的な考えとして、ですが。
マーケティングはなぜ楽しいのか
~ブランドは「ひと」~
ひとつ前に書いたように、私は、マーケティングとは「ひとがひとにモノを買ってもらうこと」だと定義しています。
モノ(商品やサービス)を売る、買ってもらうという行為は、突き詰めると「ひととひと」の間に起きていること、ということです。 たとえ間にどんなに複雑な媒介=仕組みやメディアが挟まっていたとしても。
さて、ことがブランドマーケティングとなると、この片方の「ひと」が、企業やあなたや店舗ではなく、「ブランド」になる。 (もう一方のひとは、「お客さん」のままです、もちろん。)
つまり、
「ひと(ブランド)がひと(お客さん)にモノを買ってもらうこと」
になるわけです。
ブランドとはひとである。
これ、なんとなく、ですが、どうもウケが良くないんですよね。
「ん??」ってなる方が多い。
モノや、形のないサービスが「ひと」であるということが、ピンと来ないのかも知れません。 しゃべったりしないですしね。
要するに「ひとだと考えるといろんなことがわかりやすくなりますよ」ということなんですが。
過去にも何度も書いてきましたので、いくつか過去記事を紹介しておきます。
・極意の(^_^)フレームワーク ~4.ブランドってひとなんです(こちらは上級者向けシリーズ記事の中のひとつです・・・)
ブランド化できると、ブランドとして強くなると、こんないいことがありますよ、というのが、数多くあります。 詳しくはそういう本を見ていただくとして、例えば、なじみや信頼を蓄積できる、愛着や愛情、あこがれなどを醸成できる、結果として競合へのスイッチの確率を下げたり、価格に対するセンシティビティを下げられたり。 新製品、姉妹品や別カテゴリへの展開がしやすくなったり、参入コストを下げられたり、というのもあります。 さらには、その機能が必要なくなったり、カテゴリそのものが衰退していっても、別の場所で生き続けることができる(ことがある)といったものもありますね。 (若い方は知らないかも知れませんが、Luxって、固形石鹸だったんですよ。 HERMESは馬具屋さんだったし。)
そういうのを、ものすごくベタに表現すると、
「好きなひと、信頼できるひとから買いたい、同じものなら好きなひとから買いたい、もう一度買ってあげたい、そのひとが出すんだったら使ったことないものでも『いいかも』と思える、試してあげなきゃという気になる、そのひとを応援したいと思ってしまう」
ということなんだと思います。
これは、機能や価格が優れているのでリピートする、というのと、少し次元が違いますよね。
信頼とか、愛情とか、なじみとか、仲良し、とか、そういう、通常、ひとがひとに対して抱く思考や感情。
だから、ひとだと考えると、わかりやすい、というわけです。
そして、さらに、強いブランドには、そのブランドならではの一貫したポリシーやこだわり、価値観、性格、志向、好き嫌い、夢、目標などがあります。 つまり大義、ですね。 だからこそ、大好きになったり(嫌いだと決めることができたり)する。
これらも、ひとだと考えるとわかりやすいと思うんです。
さて、じゃ、何が楽しいのか、ですよね。 それがお題でした。
私は、この「ブランド」という「ひと」に、憑依して考えるのが好きなんです。 楽しいんです。
ブランドXさんなら、どう考えるのか、どうしたいのか、どうすべきか。
または、ブランドXさんは、何をしてほしいと思っているかを考えるのが。
さらに、もうひとりの「ひと」=お客さんに憑依して、どうしてほしいのか、どういうことを魅力的に感じるのか。
これらを行ったり来たりして考える過程が楽しい。
このふたりはどういう関係であるべきか。
自分本位、自分の立場だけで考えていると出てこない発想にぶち当たったりできる。 視座が変わるので、見えなかったものが見えたりする。
これが楽しい。
ブランドは、名前を付けられて世に出た途端に、ひとりの「ひと」としての人格を与えられる、とすれば、それは、すでにその親である企業からも、担当者からも独立した(無関係ではない、関係の深い、けど)別人格で、もう企業や担当者の勝手で好き放題にはできない、すべきではない。
そんな、自分からあまり語ろうとしない存在に対して耳を傾ける。
実際の仕事では、ある程度人格が形成されているのに、それが何なのかを明確に定義されていないなどのせいで、不似合いな服を着せられたり、苦手なことや無駄なことをさせられたりしていることが多いので、それを、「あなたはこういうひとですよね、こういうことを目指してるんですよね」とはっきりさせてあげる、とか「ホントはこういうのがやりたかったんじゃないですか?」と問いかけてあげるという作業だったり。
それを具体的な製品のアイディアに転換したり、デザインやコピーに移入してあげたり。
また、それらを言語化してひとつのドキュメントに(一旦)封じ込めるのも楽しい。 これでいい? これでよかったのかな? 大丈夫? うまくつかめてる? とか(ひそかに)案じながら。
独立した人格を持った「ひと」、この捉え方ができると、ブランドマーケティングはがぜん楽しくなる。
逆に、担当者や、たとえ経営者であっても、これができないと、ブランドを壊してしまう。 少なくとも、ブランドの「らしさ」を著しく希釈してしまう。 自分の会社の「持ち物」だから、何をやってもいい、と思ってしまうんでしょうか。 そのブランドに似合わない仕事をさせられたりする、持つべきでないラインアップを持たされたり、苦手なカテゴリに参入させられたりする。
もちろん、経営上の、ビジネス運営上の、競合対策上のニーズがあってのことだったりしますが、それにしても・・・というのをよく目にします。
これも、独立した人格を持った「ひと」と捉えて考えると避けられる、いい策を紡ぎだせる、少しはましな手を思いつけると思います。
たとえ話のドツボに嵌ってはいけませんが、せめて「ブランドXさん、こういう課題があるんだけど、手伝ってもらっていい?」くらいの心遣いは必要だよなぁ、と。
そのように私は思っています(し、実際そうだよな、と思うことが多々あります)というお話でした。
お。