「ひとりごと」的な記事が続きます。 続きものにする予定はなかったんですが、3つめですね。 いつのまにか、「もう少し基本中の基本をまとめておいてもいいかな」と思うようになり。 (歳、ですかね、関係ないか・・・。)
今回は、マーケティングってそもそも何?ということに関して、私がどのように考えているか、というお話です。
マーケティングはなぜ楽しいのか
~「ひとがひとに」~
マーケティングとは?という定義みたいなことなんですが、
実は、前職の期間中、20数年、そんなこと考えたこともなかったんです。
考えなくても、当たり前の日々の仕事として、常に目の前に(大量に)積まれてましたし、部署としての役割や使命も明確で、しかも、結局、自分のブランドを伸ばすためにすべきことがあったら、それをやらないという選択肢はなかったので、考える必要はなかった。
しかも、私の場合、マーケティングを勉強したことがないので、改めて「とは?」みたいなことを考えるきっかけもありませんでした。
ところが、(最初ひとりで)今の仕事をスタートすることして、「えとじや」なんて看板を上げて(って、看板は作ってませんが)、いろんな方々に会ってみて、かなりびっくりしたわけです。
(今も、びっくりすることは多いですが)世の中、「マーケティング」という言葉が指すものが、あまりに様々で。 広いとか狭いとかだけでなく。
なので、自分の仕事を説明するのに、「マーケティングのコンサルです」では、何も言ってないに等しい、ないしは、ひどく誤解されるんだ、ということにぶち当たったわけです。
とある企業の社長さんにお会いしたとき、彼は、
「マーケティング? いらんいらん。 あんなもん金ばっかりかかって、うちみたいなとこでは、やってられへん」と。
話を聞いてみると、彼は、「タレントさんが出てくるTVCMを作って流すこと」だと思ってらっしゃったことがわかりました。
また別の方は、
「マーケティングか・・・。 あいつらは金ばっかり遣って、数字こねくり回して、理屈こねて、結局、ひとつも売らへん、あかんあかん」と。
どうやら彼は、分析やマーケティングリサーチのことをおっしゃっている。
などなど・・・・。
(大阪で聞いたのが良くなかったんじゃないか、という疑いは強く残りつつ・・・)
どうやら、「マーケティング」という言葉は、ひと・会社によって意味することがすごく違うし、少なくない確率でひどく誤解されているんだ、ということがわかったわけです。
(最近は、ずいぶんましになったようには思いますが、今でも、誤解まみれですかね・・・。)
で、マーケティングって、結局、何なんだろう?ということを考えざるを得なくなった。
さて、ググってしまえば、アメリカマーケティング協会の定義を筆頭に、立派な、よく練られた定義がたくさん出てくるわけですが、あくまで私なりに、と考えたのが、
ひとがひとにモノを買ってもらうこと
(直接お目にかかれないのでXXで失礼します)
というものです。 (・・・)部分も含んで。
いやはや、ツッコミどころ満載の、緩すぎる定義ではありますが(例えば、それって、「商売」ってことだよね、とは言わない約束)、私なりの結論として。
モノとは、物だけでなく、サービスなどの無形のものも含みます。
買ってもらう、には、買い続けてもらう、を付け足したいところですが、長くなるので我慢。
買う=お金のやりとりには限らないのかも知れませんが、価値の交換とかいう難しいことばを使いたくなかったので、わかりやすく。
(・・・)の中の「XX」には、様々なものが入ります。 それは例えば、お店・店頭、広告、チラシ、サンプル、パッケージデザイン、商品コンセプト、製品の形状、価格、口コミも。 「直接お目にかかれない」のが、わりとポイントかな、と思っていて、別にマスマーケティングに限るという意味ではないんですが、多くの場合、何らかの媒介=「XX」を介してのやりとりなんだという意味合いです。
また、「失礼します」も、自分では大事なコンセプトだと思っています。 いつも謝りなさい、ということではなく、でも、(本来なら、直接お会いしてご説明させていただくべきところですが)という謙虚な態度というのは、わりと大事だという経験則、ですかね。 あるいは、会って話せばわかるのに、とか、これだけちゃんと説明したんだからわかるはずだ、などという言い訳・逃げを排除するという意味合いもあります。
で、一番大事なのが、「ひとがひとに」という部分です。
自分自身、経験してしまっていることでもあるんですが、ここを忘れがちだよなぁ、でも、本質はここだよなぁ、という。
ひとがひとにモノを買ってもらうこと
(直接お目にかかれないのでXXで失礼します)
昔、広告会社さんに遊びに(?)行ったときに、黎明期のTVCMというのを見せていただいたことがあるんです。
いわゆる昭和の名作と言われるようなものではなく、普通に流れていたCMたち。 でも、捨てられずに運よく残っていたフィルムたち。
そこでは、驚くほど多くの広告で、例えば社長さんご自身が出てきて、「弊社のXXをよろしくお願いします」って言うのを目にしました。
で、思ったわけです、そうなんだよね、そもそもそういうことなんだよね、と。
自分(たち)が作った商品を、ひとりでも多くの方にご紹介して、知ってもらって、できれば試していただき、ご愛用いただきたい、ということなんだ、と。
「これ、私が作ったんです。 こういう良さがあって、こういう風に便利で、こういう方に、こういうお困りごとがある方に、こんなことをやってみたい方に、ちょうどいいと思って。 どうでしょう? ぜひ、お試しいただけませんか? すいません、高いところ(電波・ブラウン管)から。 本来なら直接お会いして、ご説明すべきところですが。 いかがですか?」
仕事としてのマーケティングって、実は、仕事の対象=お客さんに直接お会いする機会が少ない仕事です。
そして、間にいろんなものが挟まっています。 バリューチェーン・モノの流れとしても、コミュニケーションの流れとしても、そして、製品の開発などの経緯や、調査とその結果、数字、お金、そして、数多くの利害関係者や会社・組織・団体なども。
しかし、その向こうには、生身の「ひと」がいる。
5%シェアという数字の向こうにはお客さんがいて、お客さんの生活がある。
クリックしたのは、数であると同時に・以前に、「ひと」の行為。
忘れてしまいがちなんですが、突き詰めると、「ひとがひとに」なんだと思います。
テクニックとして、自分をことさらに良く見せようとしたり、ごまかそうとしたり、(強い悪意はなくても)ちょっとだましちゃおうと思ったり、少し脅してやろう、焦らせてやろう、としたり、こんなもんでいいかなと思ったりしたとき、そうしたことは、びっくりするくらい相手に伝わってしまいます。
それは、ひととひとの間に起きることだから、なんだろうと。 ひとがやっていることなので、ひとはそれを敏感に感じとるんだろうな、と。
なので、マーケティングという仕事(の大切な部分)は、作り手・売り手である私=「ひと」が、お客さん=買ってくれる「ひと」のことを知る、理解する、なんとかわかろうとする、という行為なのだと、私は思うわけです。
すいません、本格的な「ひとりごと」になってしまいましたか。
PS: ところで、実はここだけの話、以前、音部さんが、「Marketingは、マーケティングと訳さずに、市場創造(市場を創造する仕事)と訳すべきだ(った)」とおっしゃっていて、あら、いやぁ、そっちのほうがいいなぁ、かっこいいなぁ、と思ってたりもします。
お。