引き続き、基本的なことを書きます。

備忘録的に、または、個人的に考え直す、学び直す、みたいな意味合いで。

つまり「ひとりごと」です。

 

 

マーケティングはなぜ楽しいのか

~ アートのサイエンス、サイエンスのアート ~

 

「マーケティングは、Artか、Scienceか」というのは、ときどき出てくる議論ですが、私の結論は、アートのサイエンス、あるいは、サイエンスを駆使したアート、という感じ。 

基本2

そもそも、マーケティングって、なっかなか当たらないんですよね。

分析して、考えて、調査して、考えて、テストして、いろいろ努力するけど、最後には、「やってみないとわからない」。 同じ条件がそろっているように見えても、同じ結果は得られない。

計算してできるものではない。

結構、再現性が低い。

なので、サイエンスだと言ってしまうのは、少しはばかられます。

 

しかし、大半の時間は、こうした「考える」作業に費やされるし、数字とかもたくさん出てきます。

ましてや、最近は特に多くなってきたように見えますが、様々な手法やメディアがとても理論的なものだったり、自動化されてきて(るように見え)たりします。

そもそもが、投資に対してどの程度の見返りを期待し実現するのか、という意味においては、とてもサイエンティフィックなプロセスなのは事実。

 

ところが、一方で、今まであったものとさして変わらないのに、あるときすごくヒットしたり、あのときダメだったのに、今回はうまくいっちゃった、とか、それが商品のアイディアだったり、広告のちょっとした表現の一部だったり、ちょっとしたこと(実は大事なことなんですが)で、期待を上回る結果を出せたりします。

デザインひとつ、アイディアを具現化するコピーひとつ、製品の形や触感の違い、などの要素で結果に大きな違いが出る。

もちろん、逆もありますが(というか、逆の方が多いか・・・)。

なので、とってもアートな面を持っています。

 

ひとつ前の記事で、私はマーケティングの仕事は「ひとのこころを動かして、ひとの行動を変えてもらう」ことだと思っていると書きましたが、サイエンスがひとのこころを動かさないとは言わないまでも、やはりひとを感動させたりするのは、アートのほうが得意ですよね。

じゃ、マーケティングはアートなのか?

 

しかし、そうすると、ここで問題にぶち当たる。

 

アートだと言い切ってしまうと、才能あふれた一部の天才芸術家にしかできない仕事だ、ということになってしまうわけです。

これでは困ってしまいますよね。

(だって、少なくとも私が天才でないことは、私自身が一番知っている。)

 

別に誰にでもできる仕事だなんて言ってませんし、思ってませんよ。

マーケティングは、間違いなくプロの(集団の)仕事です。

向き不向きがあります。

できないひとには、できません。

ただし、仕事のほとんどは、習得可能な知識とスキル(と経験)からできています。

(一見天賦の才かに思える「センス」も、習得可能なスキル、と私は思っています。 以前、記事にしました ⇒ 「どうしたらセンスが良くなるか1」、「どうしたらセンスが良くなるか2」。)

ひとりのマーケターが、幅広い・多岐にわたる分野すべてが得意でなくても、それらを理解できていればいいという面もあります。 その分野が得意なひとに助けてもらえばいい。

なので、誤解を恐れずに例えると、天才芸術家ではなく、職人(たち)、ということでしょうか。

 

その職人たちは、アートを生み出すために、サイエンスと言う道具を駆使するんです。

そのアートを生み出すための条件や材料や刺激を用意するためにサイエンスを駆使する。

生み出されたアートを深く理解し、解釈するためにサイエンスを駆使する。

そのアートの抱えるリスクを最小限にするために、可能な限りサイエンスを駆使する。

でも、プロの職人たちなので、結局はそれがアートであることを認識していて、魂を込め忘れない、画竜点睛を欠くことをしない、解剖して殺してしまってはいけないことをちゃんと知っている。

 

「マーケティングとは、アートである、が、そのアートを生み出し、理解し、実現性を測り、リスクを低減し、再現性を高めるために精一杯サイエンスする」

 

ということなのかな、と。

 

だからどう?ということはないんですが、そうだと知っておく・認識しておくと、いろんな面で仕事を楽しく進められると思います。

 

たぶん。

 

お。