さて、極意の長旅も終盤に入りました。
いよいよブランドについて考えてみます。 今回は、わりとシンプルです。
(そのはずです。 が、少し中上級向きな内容かもしれません。)
1回目に、ひとはSenses/Heart/Mind/Soul/Behaviorからできていると捉えると、いろいろ理解しやすいですよ、というお話をしました。 今回のブランドの話はそこと直結します。
なお、2回目は、Senses/Heart/Mind/Soul/Behaviorモデルで捉えて、表面的な理解を超えて、深読みできるようになりましょう、3回目は、カテゴリーを売り手都合の市場の分類ではなく、ひと(とモノ)をとりまくと生活領域と捉えるといいですよ、という内容でした。
今回は、前回一旦離れたSenses/Heart/Mind/Soul/Behaviorモデル、それでブランドを考えてみようという試みです。 (ここから来られた方、以前の記事を全部読んでいただく必要はありませんが、今回の内容をすんなり理解いただくために、第1回だけ、ざっと目を通していただくことをお勧めします。 もちろん全部読んでもらえるとうれしいです。)
~ブランドとはひとである、を考えてみる~
多くの方がご存じで、おそらく便利に使っているであろうWHO/WHAT/HOWのフレームワーク、もちろん私も日ごろこれを使って説明したり整理したりしていますし、無茶苦茶シンプルで、誰にでもすぐ理解できちゃうので、ホントに便利なんですが、実を言うと、私、心の奥底では、ここ25年ほど(つまり最初から)、なんかちょっと違うんだよなぁ~って、思ってるんです。
間違っているわけではないんです、もちろん。 ややこしくない、わかりやすい、使いやすい、予備知識とかいらない。 その通りなんですが。 しかも自分でも使ってるし。
でも、もう一方で、「ブランドには人格があるんです!」って言ってて、なのにWHATっておかしいでしょ。 WHO/WHOじゃないとおかしいでしょ。 (細かい? いや、そうなんですけどね。)
そして、とてもとても重要な要素の多くが、HOWだとされてたり、HOWだと誤解されてたりする。 しかもHOWと規定してしまうと、あたかも大切でないもの、あとでなんとかなるものと思われる傾向がある。 少なくとも開発が後回しになりがち。
このもやもや、Senses/Heart/Mind/Soul/Behaviorモデルで考えると、私は、(少なくとも私だけは)すっきりするんで、今日はちょっとみなさんに見ていただこうかな、と。 かえってややこしいじゃん、と言われてしまうのを覚悟で。
ブランドとは単なる機能の集合(だけ)ではない、
ブランドには機能的なベネフィットだけでは終わらない感情的・情緒的な価値がある、
むしろそっちのほうが大事なことが多い、
ブランドにはそれぞれこだわりがある、
ブランドにはそれぞれ特有の信念や価値観がある・なければならない、
ブランドは便利なだけではなく信用する・好きになる・愛する対象になりうる、
ブランドには理屈で説明できない理由で好きになる何かが(たくさん)ある・・・・。
こうしたことを理解するために、じゃぁ「ブランドって人格がある=ひとなんだよね」と考えて、モデルに当てはめて考えてみるわけです。
作業としては、とても単純です。
第1回で議論したモデルがこちらで:
それをそのままブランドに置き換えてみると、こうなるのかな、がこちら:
それぞれどこに入れるべきか、ちょっと迷うところもなくはないんですが、少なくともブランドを構成する要素のほとんどは、カバーできるんじゃないかと思います。 ので、迷ったら間に書いておくくらいのノリでいいと思ってます。
さらには、製品機能の優位性だとか、今どき情緒的なことって大事だよとか、それはデザインの問題だよね、それって広告のトンマナだよね、とか、戦略的重要度ではなく、個々の役割で分類してしまうことで見失いがちな全体像が捉えられるんじゃないか、と。
特に、物理的なベネフィットや機能こそが最重要と考えてしまいがちなカテゴリーでは、戦略的だとみなされにくい要素を、ちゃんと把握できると思います。
一応、ひとつずつ簡単に解説しておきますね。
まず、おそらく最もすんなり理解できるはずの、Mindから。
ここには、理屈・論理にまつわるものが類別されます。
代表格が、機能的ベネフィットですね。 また、その他に、製品機能、機能的な役割やしくみ、価格・流通などに関する特徴もひとまずここに入ります。 ただ、多くの製造業の方はここに技術や特許、配合、原料、成分なども入れたくなると思いますが、それはホントにブランドにとって本質的に大切な要素かどうか、考えてから入れてくださいね。 ここでは詳しく論じませんが、大抵は「誰も気にしてないし、重要でない」か「今必要だから使っているけど長期的な要素ではない」ので。 つまり、もしかするとBehavior なのかも知れないということ。 SK-IIにとってもピテラは、間違いなく戦略的なMind要素(でありブランド全体に影響する要素)ですが、ELIXIRにとってのレチノールは、たぶんBehavior です。
次はHeartを見ましょうか。
こちらは、マーケティング界隈では、エモーショナルベネフィット、とか、感情的便益、情緒的便益、あるいは、ライフベネフィット・生活便益などの様々な名前で呼ばれているものたちが属する分野で、要するにひとはブランドからこういう感情を得ているんだよなぁ、です。
いい父親であることを実感できる、とか、すっきりさわやかな気分にしてくれる、とか、そういうのです。
ただ、この辺りからは、分類が難しい、あるいは、少し議論・熟慮が必要になってくるものも登場してきます。
例えば、私は、ブランドの持つ~提供する社会的価値の多くは、ここに入ると思っていますが、モノによっては他の分野に入れるべきかも知れません。
あいまいな言い方ですいません。
ちょっと例を挙げて説明してみると、「環境に配慮した製品設計・機能」だけを考えると、論理的=Mindに入れていいんですが、「環境を考えている、ちゃんとしたひととして見られる」になると、感情=Heartになってきます。 「環境に配慮した設計思想と行動原則(にほれ込んで使う)」みたいなレベルになると、これは価値観=Soulに分類すべき、ということになりますし。
そして、Senses、感覚・感性と呼ばれる分野。
実は、私自身、日ごろのマーケティング思考・実践の中で、一番強く意識するよう心掛けているのが、この分野です。 そして、ブランドの、マーケティングの戦略を考えるときに、わりと見逃されがちになっていたり、(HOWのひとつだと解釈されて)軽く扱われたり、また、考えることが中心のマーケターだけでは進まない分野、つまりデザインなどの分野の方と協業しないと戦略が見いだせないことがある領域だったりするところです。
ブランドの手触り、肌触り、たたずまい、感覚的魅力、センス、おもしろさやかわいさ、かっこよさに関わるものたち。
ここで注意が必要なのが、ここに入るのは、戦略的・長期的なもので、実際のデザインや広告などの表現要素の多く、トーンなどはBehaviorにすぎない(=HOW)ということでしょうか。
逆の注意点は、デザインはBehavior なんだから、しょっちゅうガラッと変えていいんだ、というのもありますが。
多くの方は、Appleの製品は、なんか、こう、かっこいい・素敵だなぁ、手になじむ、絵になるなぁと思ってらっしゃると思います。 (私個人としては、あまりそう思わないんですが、多くのひとがそう感じるのは理解できます。) で、例えば歴代のMacやiPhoneをさかのぼっていろいろ見てみると、実はデザインそのものは結構変わってる。 でも、その時代時代に、「なんか、こう、かっこいい・素敵だなぁ、手になじむ、絵になるなぁ」と思われてたんだろうことはわかりますよね。 それです。 それをつかみ取って=言語化して、ここに入れるわけです。
ひとつ、ちょっと議論の余地がある要素が、一般に「経験的ベネフィット」と呼ばれているもの、それがここに入るのか、ということですね。
経験的ベネフィットは、様々な要素が包括的に働いていることが多いので、それぞれの要素はMindやHeart、場合によってはSoulに属するものだったりする。 そのうちで、主となるモノをどこかできちんと捉えておけば、それでいいんですが、私の経験上、わりとこのSensesに要があることが多い、あるいは、Sensesの領域だと意識してまとめたほうが、うまく戦略として捉えられる、と考えています。
さて、Soulに行く前に、すでにちょこっと触れたので、Behaviorを考えておきましょうか。
これは至極シンプルでして、人の目に見える、感じることができる、ブランドのふるまいすべて、です。 他の4つの要素が、実質として発現したもの、ということでもあります。
マーケティングコミュニケーションの分野においては、パッケージデザインやパッケージコピー、広告、店頭販促物、などの具体的な表現がこれに属しますし、製品開発マーケティングの分野では、製品パフォーマンス、製品の見た目や手触り、使い心地、使い勝手などがBehaviorになります。 ZMOT・FMOT・SMOTなどと呼ばれるものたち(広告など・店頭・最初の製品実体験)は、みな、このエリアにおけるお客様との接点で起きる活動と現象・結果、です。
WHO/WHAT/HOWのフレームワークで言うところのHOWですね。
留意しておかないといけないのは、「ひとが直接認識したり経験したりできるのは、Behavior だけだ」ということ。 どんなにすばらしい意図や戦略や技術があっても、ひとに感じてもらわなければ、無人島のごみ拾いなわけですから。
(だから、Behavior 要素は、ともかくていねいに、きちんと作る、です、余談ですが。)
ブランドとはひとである、ブランドには人格がある、というのが、そうだよね~、と納得できるのは、次のSoulのせいなんだろうと思います。
ブランドにはSoulがある、ゆえにブランドはひとである、みたいな。
ここには、ブランドキャラクター(見た目ではなく、ひととなり、という意味)が入ります。 あるいは、ブランドの人格、信念、こだわり、価値観と言い換えてもいいです。
すでにちょうど2年前になりますが、音部さんの京都での講演に寄せていただいたときに、彼が「大義」ということばでひも解いてくれたもの、それがSoulです。 (そのときのつたない要約は、こちらの記事です。)
ブランドの戦略を考えるうえで、おそらく最重要の要素です。
(でも、きちんと捉えて正しく言語化するのが難しいから、後回しにされてしまったり、あいまいなまま放っておかれたり、せっかく決めたのにちゃんと使われてなかったりするんですけどね・・・悲しいわ。)
さて、すでにブランドアイデンティティやブランドエクイティなど、ブランドの戦略的要素をまとめたものをお持ちの方にとっては、すいすい埋まっていく作業だと思います。 (すいすい埋まらないとすれば、何か問題があるはず。)
そういうのない、または、すいすい埋まらなかったという方は、せっかくの機会なので、まずは重要か、本質的かと悩まずに、どんどん埋めてみましょう。
そうすると、まず、自分が自身のブランドのどこを理解できていないかが見えてきます。
「Sensesのところに書くことないなぁ」というのは、おそらくありえないケースなので、それはすなわち理解できていない・見落としているか、あるんだけどちゃんと把握・言語化できていないか、一貫性のある戦略的・本質的なものが欠けている=改善のチャンスか、のいずれかです。
「おいおいSensesのところが満員だぞ」というのは、かなりの確率でBehaviorに当たる=長期的・本質的でない「部分たち」を詰め込んでいるからだと思います。 それら全体が、あるいは一部が、どんな感性・感覚を体現しているのか考えて、そっちを書くようにします。
「Mind分野ばっかりてんこ盛りだぞ」という方も、少なくないでしょうね。 ブランドの本質に関することなので、まず問うべきは「本当にそんなにたくさんのことがお客さんに認識され受容されているのか?」=自分たちはそれらを提供していると思っているが、お客さんはそう思ってるのか? そしてそれらは長期的に重要なことなのか? むしろ多すぎて自分でチャンスを狭めていないか? 機能や特徴ばっかりで、ベネフィットがない・少ないのではないか? などを問いかけてみるべきでしょう。
「Heartは埋まってるけど、ホントにこれ?」もよく出会います。 そういうとき頻出する単語が、信頼・信頼感、安心感、のようなぼんやりしたものたち。 ホントにそれはちゃんとベネフィットとして提供し、享受されている・されるべきものなのか? ブランド特有のものなのか? 信頼、安心、って、どんな信頼・安心なの? などなどを突き詰めてみましょう。
そうしてある程度まとまってきたら、次の作業。
これがわりと高度な思考作業なので、うまく説明できるか自信ないんですが。
(モデルそのものはシンプルなんですが、ここを体得するのは、結構難しいのかも。 その意味でマーケティング中上級者向けなんだろうなぁ。)
全体を(ぼんやり)見渡して、「このひと、どんなひと?」と考えてみます。
ちょっとやってみましょうか。
すっきりした(意図的に、ちょっと安っぽい)味のアイスキャンディー(氷菓)で、子どもでもお小遣いで買える手ごろな値段、しかも、なんと当たり付き、というのがMind。
Heartは、すっきりした気分にさせてくれる、どこか懐かしい気分にもさせてくれる。 (当たるかどうかちょっとわくわくする、当たると妙にうれしい、のもそうですね。)
しかし、それだけではなく、暑い夏の日の午後、遊び疲れたとき、でも、今の楽しさから離れたくない、「楽しかったね」と言わなくてもその気持ちを共有できる、ま、いいか、悪くないよね、と思わせてくれる、ちょうどいい時間つぶし、その時間を友人と共有できること、さらにはその思い出(実際にその出来事を経験していなくてもそう思えてしまうノスタルジー)、という情緒的な意味が、このブランドのとても大切なHeart要素ですが、これはSensesにもかかってくる経験的ベネフィットなのだと思います。
Sensesに当たる特徴は、なによりその食感=どストレートの味・食べ心地もそうですが、ぺらっぺらの青いパッケージと漫画のキャラクターのイラストが醸し出す、得も言われぬ安っぽさと親しみやすさももちろん重要な要素ですし、広告やコラボや販促にも、一貫してこの感性は実現されています。 うまく言語化できてるかわかりませんが、私は「古くないのになつかしい、安っぽいのにそれでないといけない、がきんちょのおもちゃ」と理解しています。
そして、このブランドのコアだと私が(勝手に)思っているのが、その人格・大義=「がきんちょ(の頃)の楽しい時間、夏休みも遊びの時間も、いつか終わることは知っている、でも、この時間がずっと続いたらいいのになぁ、世の中そうだといいのになぁ」、とそんな風に世の中を見ている・とらえているんだと理解しています、これがSoul。
どうでしょう? どんなひと=ブランドですか? かなり、いいやつですよね。
友達にしたい、あるいは、昔、そういう友達いましたよね。
困ったことがあったとき、決して解決策をくれたりアドバイスしてくれたりはしないけど、一緒にいてくれると、もうちょっとだけがんばれそうな、そういうひとじゃないでしょうか?
難しいことを考えたり話したりしなくていい、「な?」、「ああ」でだいたい済んでしまう仲の友達。
ものすごい強いブランドであることは、誰も反対しないと思いますが、その強さはどこから来ているの?というのを、歴史や販売力、価格や競合状況のせいにしなくても説明できます。
あの、笑ってしまうような限定フレーバーのばかばかしさが、実はブランドの根幹と深く結びついていることも納得できます。
そして、子どもだけではなく、実は30~40代男女の消費が高いのですが、それも納得できます。 子ども、がきんちょだったことのあるひと、がきんちょの心を持ったひとには、必ず響く要素満載だからです。 残業の途中、ちょっと残りの仕事を片付けるために自分に小さな気合を入れるときに、だらっと食べてしまうのは、当然なんです。
(いつもガリガリ君の例ばかりですいません・・・・みなさんにわかっていただきやすいかな、と思って。 実は、赤城乳業の方に確認したことではなく、私が勝手に考えてることなんですけどね。)
こうしてブランド全体を「ひと」として包括的にとらえると、その「ひと」が次に何をすべきか、どんなことはキャラに合っているのか、どういうことはやっちゃいけないことなのか、どんなことをするとみんながびっくりしながらも納得してくれるのか、が、見えてきます。
リニアな論理的組み立てとして思いつけることより、ずっと広がりも深みも出てくるんじゃないでしょうか?
昨今、世の中では、ブランドが社会にどのような価値を提供できるのか、すべきなのかが問われることが多くなってきましたが、そんな場合でも、とりあえず木でも植えておくか?に帰結せずに済みます。 (木を植えるのは大事なことなんですけど。)
また、全体を見渡したあと、ひとつひとつの要素を再度見直すと、「合ってない」異質なものがはっきりしてきます。 「これ、このブランドに要る?」みたいな。
そうしたら、それをそのままにするのか、少し変えてブランドにしっくりくるように変えていくのか、むしろその違和感を「イノベーション」に変換できないか、思い切って捨て去るのか、などの議論ができるようになると思います。
私の実体験で言うと、世の中の多くのブランドで、要らないアイテムたちがぶら下がっていて、それがブランドの価値を不明瞭にしてしまっているのを見かけます。 おそらく競合対策やニュース作りのために出されたりしたものたちなんでしょうね。 そういうものたちをリストラするのにも有効な視点を与えてくれます。
と、以上、ひとまずSenses/Heart/Mind/Soul/Behaviorモデルをブランドに当てはめてみる、そうして全体としてのまとまりや一貫性=ひととしての信頼や魅力の源泉を探ってみる、でした。
たぶん、次回でこのシリーズを締めくくることになると思います。
今まで話してきたことを、全部ひとまとめにして、眺めてみる、考えてみる予定です。
(もしかすると、そのあと第6弾で「余談集」があるかも?)
お。