えとじやブログ - ひねくれマーケッターのひとりごと

ひねくれマーケッターのひとりごと

何人かの方から、いくつかご質問をいただいております。 そのひとつに対する、直接の答えと、それに関するマーケティング話を。


ocomoGoogleケータのCMだとか、WINDOWS7CMだとか、AppleiPhoneCMだとかは、いずれもバタくささという点で共通しているのですが、あれは効果的なんでしょうか? (中略) 日本の企業はなかなかやらないああいったテイストを、外資企業がそろって作ってしまう力学はなんなのだろうと気になりました。

という質問でした。 佐々木さんからのご質問です。
なかなか見てますね。 FRISKNIKEXEROXとかもそうでしょうか、バタくさいテイストです。 (って、みんな気づいてるんですよね、なんとなく。 はい、見ている人は気づいてますよ! というのは、マーケッターの方々へのメッセージ。)

いくつかの質問が入っていますので、整理してみます。


1.バタくさいCMはどうしてできているのか?

2.バタくさいCMに、そのねらい・効果みたいのはあるのか?

(3.どうして日本の企業はあまりやらないのか?)


ですね。


1については、私は専門ではありませんので、コマーシャルの制作会社で長年プロデューサをしているSound By Sの阿部さんに聞きました。 しかし、(話も長いが)答えが長~~~いし、専門用語やら業界用語、隠語、実名を伴う愚痴が多かったので、私のほうでまとめ直しました。

そのうえで、2についてお答えします。 3については触れていくようにします。


ごくごく簡単に言ってしまうと、あのバタくさい広告は、欧米のディレクター(監督)やカメラマン、スタッフなどが作っているからです。 なので、バタくさい。 すいません、単純な答えで。
撮影の方法や、レンズの選び方、照明(ライティング)の仕方、その裏にある考え方が違うことによる違いなんです。

もう少し詳しく話しましょう、阿部さんの受け売りですが。

アングロサクソンに代表される白人種の瞳は、有色人種のそれと違って、非常に光度、特に紫外線に弱く、直接的なライティングを嫌います。 その結果、壁に光を当てたりする、間接照明のような照明が好まれます。

比して、日本では直接被写体に光を当てるのが好まれます。

結果、ハリウッド映画もそうですが、海外のCMは、見たいものだけが見える、日本のCMなどは、画面の中にあるものすべてが明るく見える、という違いが生まれます。

これに伴い、カメラのレンズも違います。 欧米では長いレンズを使って=被写体深度の浅い=ちゃんと狙ったものはちゃんと写るが少しでもずれるとボケる絵を撮ります。 日本では短いレンズで、光のあたっているところは余さず撮ってしまいます。 望遠レンズと広角レンズといえば、私たち素人にもわかりやすいでしょうか。

この二つが大きな理由ですが、その他にもいろいろとある小さな違いの積み重ねが、結果として出来上がったフィルムのテイストの違いとなって出てくるわけです。

これがどういうわけか、日本では撮れないんです。 なんでもできる器用な人種なのに、どうやら同じことはなかなかできないようです。 業界の構造・業界を支える技術・知識・経験・人材・徒弟制度・美学の総合的なものなので、やろうと思ってできるもんじゃないんですね、きっと。

ですので、ああいうバタくさいテイストのCMが作りたかったら、海外で海外のスタッフで撮影するしかありません。 結果的に日本の企業のCMにはなかなか見られない、というわけです。


では、そのマーケティング的なねらい・効果、についてはどうでしょうか?

ここに挙げた、ちょっと懐かしいフィルム、1990年代のハーゲンダッツアイスクリームのコマーシャルです。 懐かしいですね。 90年代当時、世の中にこうした質の高いバタくさい映像が、映画ではなくCMに出てくるようになって、「なんか、かっこいいねぇ」だったものです。 私がかつて担当していたVidal Sassoonの新発売時のCMも、バタくさいフィルムでした、実際ハリウッドで撮影したものでしたし。

さて、ハーゲンダッツは、もちろん海外のブランドですが、実はTVのコマーシャルは日本が最初だったのですよ。 ですので、このバタくさいCM、実は日本のハーゲンダッツが、日本の消費者をターゲットに、日本でオンエアするために作ったんです。

そこには、きっと「バタくさくあるべき」というマーケティング上のねらいがあったのだと思います。

そしてそれは見事に達成されたわけですね。

そんじょそこらにある子供向けの安いアイスクリームではなく、(ヨーロッパで作られたに違いない)オトナのための高級(洋モノ)アイスクリーム、というイメージは、まさにこのフィルム1本で私たちの心に鮮やかに刻み込まれました。 のちに日本以外でも同じ手法でTVCMを流すようになったと聞いています。

Vidal Sassoonも同じですね。 実は当時まともに大きなマーケティングをしていたのは日本だけ、本国イギリスではすっかりマイナーなサロンのシャンプーだったのに、あのフィルムのおかげで、バブル真っ盛りの日本に海外の高級ヘアケアブランド日本上陸、という印象が出来上がったわけです。


TV
を見ている人が映像や音楽からなんとなく受け取る感覚的印象、って文字情報以上に大切です。 ですから、ハーゲンダッツなどの場合、バタくささを効果的に利用した、とてもいい例だと言えます。


ただし、そこにたいした意図もねらいもない、というケースもあります。 単にアメリカやヨーロッパで流している広告を流しているだけ、だったり。 また、日本の企業がそういうフィルムをなかなか作らないのは、わざわざそうする理由があまりない、ということなんでしょうね。


さて、ブランド・マーケティング上の課題となるのは、時には日本で作ったり、また海外で撮影したりしているときに、結果として、フィルムの肌触り以上の「感覚的印象の異なる複数の人格」を作り上げてしまっていないか、ということです。 海外、それもアメリカで撮影するって、大変なんですよ。 お金もかかるし、時間もかかる。 スタッフやタレントさんのスケジュールが合わない、などなど。 で、ついつい、いいか、日本で、ということになります。 それは仕方ないことだとは思いますが、しかし、2種類の違った路線のコミュニケーションが混在したとき、あるいは前後したとき、見る人たちの中に、はたして同じ「人格」として認識され、蓄積されるのか?

あるいはもっと単純に、「なんか、安っぽい、この会社、最近、手抜いてるよね、なんとなく」と思われてしまうかもしれません。 見てる人は気付いてますからねぇ。


お。

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「パパ、この鶏肉、おいしいね。」

「そうだろ、ピーちゃんもお前に食べてもらって幸せだろうなぁ。」

「え・・・・(絶叫!)」


なんていう、のどかでグロテスクな話は、悪い冗談でしかありませんが、この話にはマーケティング、それもブランド・マーケティングにとって大切な教訓があります。

 
人はペットに名前をつけます。

うちのわんこにも「もずく」という立派な名前があります。 その前には「なっとう」というわんこもいました。

馬には、それが乗用や荷役用である場合、昔から1頭1頭に名前を付けていたようです。

一方、食べることを目的として飼っている動物に、人はあまり名前をつけません。

スーパー種牛などに名前があるのは、どっちかというと「記号」ですし、食用を前提とした家畜に名前をつける場合は、たいてい飼う人と食肉に加工する人が違っています。

これはかなり昔からそうだったようですし、日本以外の文化でもそうだと聞いたことがあります。 


それは、「名前をつけたものには人格が宿る」からなんですね。

そうなるとなかなか殺せないし、ましてや食べられません。 名前をつけてかわいがったぬいぐるみをぼろぼろになってもなかなか捨てられずにいるのも同じです。


「名前をつける人格が宿る」


実はこれこそがブランド・マーケティングの根幹を成す概念なんです。


(先日、livedoorさんで「ブランド・マーケティング」の勉強会をさせていただきました。 すぐ下の記事です。 その時は、ここを少し飛ばして話してしまったので、今日はその「補講」という意味もふくめて、「ブランドってなぁに?」というお話です。

そういえば、Blog立ち上げの準備のころにlivedoor佐々木さんにお会いした時も「お。さん、ブランドって何ですか?」って聞かれてたので、半年来の宿題でもあったわけですね。)


みなさん、会社や商品・サービスに名前をつけます。

ブランドの誕生です。

名付けた人がそれをちゃんと意識しているかはさておき、その瞬間に人格が宿ります。 名付けた段階ではまだ成長していないので、赤ん坊みたいなもんですが。

親には「こんな子・ひとに育ってほしい」という思いがあるはずです。 おじいちゃんの名前をもらっただけ、とか、占いで決めてもらった、としても、そこには親の思いが込められています。

そもそもその子に備わった特徴や特長、世の中での役割・使命、時代の背景や要請みたいのもあります。

そして、親の思いを背負った看板ができ、あるいはパッケージデザインができ、チラシや広告が作られ、その人格は人生をスタートするわけです。

やがて、その人格はお客さんとのやりとりにも影響されて、さらに人格を構成する性格や態度、立ち居振る舞い、信念・哲学などを明確にしていくのです。

もう親の一存で無理矢理イメージを変えたりできなくなってしまいます。 一個の人格として尊重してあげないと、グレます。 親や周りの人がしてあげられることは、成長の手助けだけです。


こういうのをマーケティングの世界ではブランド・キャラクターと言ったり、ブランド・エクイティーとかブランド・フィロソフィーと言ったりします。


TSUBAKI火傷の薬の成分を名前の由来に持つ「パンテーン」というシャンプーは、それ故に「直す・改善する」という役目を捨てることはできません。 「いいじゃん、そのとききれいになれれば」と言ってみても、「らしくない」のです。

一方、家紋を胸に抱いて、家紋の花の名前を付けられたシャンプーが「髪のダメージを改善します」と言っても説得力はなく、やはり「女の子たちみんな、ともかくきれいでいるのが一番うれしいのよねぇ」と宣言し続けなければならないんです。

ふたりとも、そういう生まれ、性格・キャラなんですね。


(すいません、ついついシャンプーの話になってしまいます、、、。 長いことやってたもんで。)


NIKE
にも、大関にも、Googleにも、とらやにも、TOYOTAにも、ハーゲンダッツにも、SHARPにも、KissMintにも、KOBEにも、それぞれの背負って立つ役割と、生まれ・生い立ち、性格・キャラがあるわけです。 それを捨てると、やがて100円ショップ行きです。 


ブランド・マーケティングとは、結局のところ、その人格をしっかり把握し、その人格の成長を手助けすることで、モノを売る・買ってもらう仕組み、のことなんだと思います。


でっかいトピックの割に、あっさりとした答えでした。

これで全部、ではありませんが、これは大切なスタート・ポイントです。


お。

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  • えとじや店主

    えとじや店主。マーケティング一筋28年。世の中の様々な問題を「ブランド・マーケティング」で解決する腕利きコンサルになるのが夢。なかなか、そうはいきませんが。 ともかく、マーケティングに関わることはなんでも相談に乗ります。スノーボードと音楽が趣味ですが、「うんちく」と「説教」も大好きです。

  • えとじや番頭

    えとじや番頭。消費者リサーチ歴15年。市場や消費者を理解することで、ブランドが強くなり商品が売れる、という経験を何度も味わってきました。 調査をどうやったらいいのかわからない、結果を見てもどう使っていいかわからない、そんなときにはぜひご相談ください。

  • えとじや店員

    えとじや店員。兼フードコーディネーター・レシパー。兼マーケティングができる中小企業診断士。どんなことでもたいていやっているうちに面白味を見つけてしまい、ハマるタイプです。 リサーチ、マーケティング、料理など、それを繰り返して今に至ります。今度はえとじやでどんな面白いことが経験できるのか、わくわくしています。

  • えとじやお針子

    えとじや店員。お抱え絵師(デザイナー)。パッケージデザイナーとしてメーカーで約7年働きました。マーケティングやリサーチはまだまだ初心者。デザインの力を使ってみんながニコニコできるようなものを作れたら嬉しいです。アニメ、漫画、手芸、落書き、クレイアニメーション…、ちまちま何かを作るのが好きですが、大雑把で不器用…。細やかさを欲しています。

  • えとじやお針子

    えとじやお針子(ライター)。マーケターを5年したあと、マーケティング博士号取得、その後、リテールサービス企業のマーケ部長に。なんと、えとじやクライアント&えとじやブログのライター。 理屈も現実もそのはざまも経験、マーケティングの仕事ってなんなの?どうしたらいいの?という悩みにはいちばん共感できる立場かも。

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